『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』文章保管用ブログ。
Posted by ささら - 2009.05.05,Tue
小さな音楽2の続き。
ぼんやりとした明かりだけが視界の内にある。暗く、数歩先は全く見えない場所に立っていた。何故か光源は見えず、まるで自分自身が光っているようにも思える。
すっと道ができた。まだ暗いが、赤い光が目の前に伸びている。これは道だろう。歩き出す。歩けた事となぜ自分がここにいたのか、その疑問を思いつきもしなかった。歩こうと思って、ただ足が動いた。
進んでいくと、自分以外に誰かいるようだった。あそこにいるのは誰だろう。目を凝らしてみると、確かに誰かがいるのだ。
声を掛けようとして、あっと声に出して驚いた。人影が、ひとり、ふたりと、増えていく。向こうの方から人が出現した、そう見えた。
まだ増える。ざわざわと雑音も増えてきた。音は増えるにつれて聞き覚えのある言語になっていく。ミクが雑音だと思ったのは人の声だ。
彼らは自分の方を見ている。そして口々に、何か自分にはわからない言葉を喋りだした。知っている言語のはずなのに、その言葉が認識できない。どんな話題なのかわからない。
声も、視線も一層多くなっている。なんだと思い、辺りを見回す。
気がつくと、周り中を彼らが囲んでいた。
何かを喋っている。何か伝えようという感じではない。ひそひそと、彼らは内緒話をしている。
ところどころで自分の名前が聞こえたが、その内容は一向にわからないままだ。首を捻り、問いかけようとしても、何故か身体は小さく縮こまった。
視線は増え続ける。人影がこちらを見ている。黒い影の目を判別出来ていないはずなのに、その目は好奇心と欲望に満ちたものだと直感した。嫌な笑いが、影に表情なんてないはずなのに、彼らは嫌な笑いを浮かべている。
人影も声も、襲い掛かるように増え続ける。ガタガタと歯の根が鳴る。怖い、恐ろしい。助けてと思った。叫ぶでもなく、口が言葉を形取る。助けて欲しいと彼女は願う。
人工物のはずのミクが祈るように頭上を仰いだ時、真っ白い光が視界を覆った。
そうしてミクは静かに目を見開いた。無遠慮に飛び込んで来たのは、蛍光灯の光だ。
薄目で光を避けて、頭を持ち上げる。辺りを見回して、ここがどこなのかを把握する。
「開発部のメンテナンス室だ……」
久しぶりに来た気がする。最近はメンテナンスもデータ取りも研究所で済ます事が多かったからだ。仕事が忙しくて都合がつかなかったから仕方ないねと博士は言っていたが、研究員の新井が言うには、ちょっとした意趣返しという事らしい。何への意趣返しなのかは知らないが、なんとなくミクも開発部は苦手だったので、博士に文句があるわけではなかった。
部屋の隅の方、窓の近くにあるベッドに寝かされていたミクは、上半身だけ起き上がる。前に来た時は陽光を取り入れていたはずの窓が、遮光カーテンで閉められていた。だからこんなに蛍光灯の光が眩しかったんだとミクは納得した。
「……うーん。何でここにいるんだっけ」
場所はわかったが、どうしてここにいるかが良く思い出せない。
「何かあったような……たしか、レン君とメイコ姉さんがカイト兄さんの部屋に……それから……それから……?なんだっけ」
記憶が飛んでいる。
ボーカロイドでも、突然一部のデータが消える事や、記憶されたものを取り出せない事態が発生する時がある。何故か忘却が再現されているのだ。バグのようなものだが、意図的に放置されている。そして、ミクたち以外のアンドロイドの多くも、この仕様を持っているのである。奇妙な事に、記憶が消えない仕様のアンドロイドの多くが、起動して早々に故障し廃棄処分になる事が、有用性を物語っていた。
とにかく、ミクは自分の記憶を呼び覚まそうとした。しかし思い出せない。消えたのか、単に取り出せないだけなのか、ミクには判断がつかない。
悩んでいるうちに、扉が開いてメイコが入ってきたので、ミクは驚いた。
「ねぼすけ、起きた?」
室内に入ってきながら言う。
「おはよう、メイコ姉さん」
「二日寝てたわよ。私もさっき起きたんだけど」
「し、仕事は!?」
「お休みだって。しょうがないわね、私も、ミクも」
メイコが慰めるように言うと、いつも間にかレンがメイコの横に現れた。
「おはよ、ミク姉……」
暗い表情だ。
「……?どうしたの?」
「何があったか覚えてるか?」
「えーと、確かレン君とメイコ姉さんがカイトさんの部屋にいて、そこに私が……うーんと」
「その後覚えてないだろ?オレたちもなんだよ」
レンとメイコは、ミクが部屋に入ってきたところでぷっつりと記憶の糸が途切れているらしい。
「何があったんだろ」
「記憶がないという事は、やばいものを見て負担がかかったから、防衛機構が作用したんでしょうね。そうなると、可能性がある原因は少ないと思うけど」
ミクはやっとわかった。
「……性的な事象って、はじめて見た。覚えてないけど!」
「倒れる前は覚えてた気がするのだけど、私も全く覚えてないわ」
「悪影響とか、本当かな」
「それはこれから調べるようね」
入り口の方から開発部の研究者が室内をうかがっている。知らない人物だった事もあってか、ミクは憂鬱な気分である。
その二日後に、影響もなさそうだという事で研究所に戻る事になった。研究所とは全く連絡を取れなかったので、ミクたちは戻れる事を大いに喜んだ。
帰りは車を出してくれるという事で、開発部の人間二人が付き添った。カイトの開発を担当した田中と、もう一人は男性の研究員で、彼は鈴木と名乗った。
少し大き目の車内では、田中やミクやメイコといった女性陣は和気藹々としたムードだが、レンは暗い顔をして流れる風景を眺めているし、運転をしている鈴木はずっと黙っている。休憩も少なく、選んだルートがよかったのかさほど混雑していなかった為、思ったより早く研究所に着いたのだ。
下りた直後に疲れたと言って伸びをするミクは、建物の方からリンとルカが来るのが見えて、すぐに手を振った。
走ってやってきたリンは嬉しそうに、ルカは嬉しそうではあるが少し恥ずかしそうだ。メイコとレンも混ざって、近況を喋り合っている。
五人が再会を喜んでいる間に、車を駐車してきた鈴木と田中が歩いてきた。あまり仲がよさそうに見えない様子で会話をしている二人を見て、ルカが固まった。それまで浮かべていた笑顔が消えたのをメイコが気がついた。
「鈴木博士……」
「知り合いなの?ルカ」
ルカはこわばった顔で、仮起動時の担当だと言った。
メイコは驚いてから、鈴木博士の方を見て身構えた。仮起動時のルカに教育を施したという事は、ルカの考え方の基本となった人物である。それはつまり、ミクとルカが喧嘩する要因となり、未だルカとカイトが微妙な距離感を保っている原因である、あの思考を教え込んだ人だ。思想が合うだろうか、まさかミクたちが反発しなければいいがと、メイコは不安に思った。
他の三人は、緊張を隠せないルカとメイコに気がつかないでいる。
そして、三人のうちの一人であるミクが、周囲を見渡しながらリンに聞いた。
「カイト兄さんと博士は?」
「カイにぃは、開発部に行ったよ。会ってない?」
「全然。行き違いかな」
「あ、それと、博士は本社に長期間行くとかで……他の人が主任代理として来るって聞いてるけど」
誰が来るかは知らないよとリンが言うのだ。
それを聞いて、メイコは何故田中と鈴木が付き添いで来たのかを理解した。最近物騒になったからと言っても、昔はボーカロイドだけで移動する事もありえた。今回は二人も付き添いがいたのは、安全の為もあるだろうが、多分、本当の理由は博士の代わりとしてやって来たのだろう。
メイコの予想通り、開発部から来た二人の人間は、自己紹介の後に山田博士の代理を務めると言ったのだった。
次:小さな音楽4
すっと道ができた。まだ暗いが、赤い光が目の前に伸びている。これは道だろう。歩き出す。歩けた事となぜ自分がここにいたのか、その疑問を思いつきもしなかった。歩こうと思って、ただ足が動いた。
進んでいくと、自分以外に誰かいるようだった。あそこにいるのは誰だろう。目を凝らしてみると、確かに誰かがいるのだ。
声を掛けようとして、あっと声に出して驚いた。人影が、ひとり、ふたりと、増えていく。向こうの方から人が出現した、そう見えた。
まだ増える。ざわざわと雑音も増えてきた。音は増えるにつれて聞き覚えのある言語になっていく。ミクが雑音だと思ったのは人の声だ。
彼らは自分の方を見ている。そして口々に、何か自分にはわからない言葉を喋りだした。知っている言語のはずなのに、その言葉が認識できない。どんな話題なのかわからない。
声も、視線も一層多くなっている。なんだと思い、辺りを見回す。
気がつくと、周り中を彼らが囲んでいた。
何かを喋っている。何か伝えようという感じではない。ひそひそと、彼らは内緒話をしている。
ところどころで自分の名前が聞こえたが、その内容は一向にわからないままだ。首を捻り、問いかけようとしても、何故か身体は小さく縮こまった。
視線は増え続ける。人影がこちらを見ている。黒い影の目を判別出来ていないはずなのに、その目は好奇心と欲望に満ちたものだと直感した。嫌な笑いが、影に表情なんてないはずなのに、彼らは嫌な笑いを浮かべている。
人影も声も、襲い掛かるように増え続ける。ガタガタと歯の根が鳴る。怖い、恐ろしい。助けてと思った。叫ぶでもなく、口が言葉を形取る。助けて欲しいと彼女は願う。
人工物のはずのミクが祈るように頭上を仰いだ時、真っ白い光が視界を覆った。
そうしてミクは静かに目を見開いた。無遠慮に飛び込んで来たのは、蛍光灯の光だ。
薄目で光を避けて、頭を持ち上げる。辺りを見回して、ここがどこなのかを把握する。
「開発部のメンテナンス室だ……」
久しぶりに来た気がする。最近はメンテナンスもデータ取りも研究所で済ます事が多かったからだ。仕事が忙しくて都合がつかなかったから仕方ないねと博士は言っていたが、研究員の新井が言うには、ちょっとした意趣返しという事らしい。何への意趣返しなのかは知らないが、なんとなくミクも開発部は苦手だったので、博士に文句があるわけではなかった。
部屋の隅の方、窓の近くにあるベッドに寝かされていたミクは、上半身だけ起き上がる。前に来た時は陽光を取り入れていたはずの窓が、遮光カーテンで閉められていた。だからこんなに蛍光灯の光が眩しかったんだとミクは納得した。
「……うーん。何でここにいるんだっけ」
場所はわかったが、どうしてここにいるかが良く思い出せない。
「何かあったような……たしか、レン君とメイコ姉さんがカイト兄さんの部屋に……それから……それから……?なんだっけ」
記憶が飛んでいる。
ボーカロイドでも、突然一部のデータが消える事や、記憶されたものを取り出せない事態が発生する時がある。何故か忘却が再現されているのだ。バグのようなものだが、意図的に放置されている。そして、ミクたち以外のアンドロイドの多くも、この仕様を持っているのである。奇妙な事に、記憶が消えない仕様のアンドロイドの多くが、起動して早々に故障し廃棄処分になる事が、有用性を物語っていた。
とにかく、ミクは自分の記憶を呼び覚まそうとした。しかし思い出せない。消えたのか、単に取り出せないだけなのか、ミクには判断がつかない。
悩んでいるうちに、扉が開いてメイコが入ってきたので、ミクは驚いた。
「ねぼすけ、起きた?」
室内に入ってきながら言う。
「おはよう、メイコ姉さん」
「二日寝てたわよ。私もさっき起きたんだけど」
「し、仕事は!?」
「お休みだって。しょうがないわね、私も、ミクも」
メイコが慰めるように言うと、いつも間にかレンがメイコの横に現れた。
「おはよ、ミク姉……」
暗い表情だ。
「……?どうしたの?」
「何があったか覚えてるか?」
「えーと、確かレン君とメイコ姉さんがカイトさんの部屋にいて、そこに私が……うーんと」
「その後覚えてないだろ?オレたちもなんだよ」
レンとメイコは、ミクが部屋に入ってきたところでぷっつりと記憶の糸が途切れているらしい。
「何があったんだろ」
「記憶がないという事は、やばいものを見て負担がかかったから、防衛機構が作用したんでしょうね。そうなると、可能性がある原因は少ないと思うけど」
ミクはやっとわかった。
「……性的な事象って、はじめて見た。覚えてないけど!」
「倒れる前は覚えてた気がするのだけど、私も全く覚えてないわ」
「悪影響とか、本当かな」
「それはこれから調べるようね」
入り口の方から開発部の研究者が室内をうかがっている。知らない人物だった事もあってか、ミクは憂鬱な気分である。
その二日後に、影響もなさそうだという事で研究所に戻る事になった。研究所とは全く連絡を取れなかったので、ミクたちは戻れる事を大いに喜んだ。
帰りは車を出してくれるという事で、開発部の人間二人が付き添った。カイトの開発を担当した田中と、もう一人は男性の研究員で、彼は鈴木と名乗った。
少し大き目の車内では、田中やミクやメイコといった女性陣は和気藹々としたムードだが、レンは暗い顔をして流れる風景を眺めているし、運転をしている鈴木はずっと黙っている。休憩も少なく、選んだルートがよかったのかさほど混雑していなかった為、思ったより早く研究所に着いたのだ。
下りた直後に疲れたと言って伸びをするミクは、建物の方からリンとルカが来るのが見えて、すぐに手を振った。
走ってやってきたリンは嬉しそうに、ルカは嬉しそうではあるが少し恥ずかしそうだ。メイコとレンも混ざって、近況を喋り合っている。
五人が再会を喜んでいる間に、車を駐車してきた鈴木と田中が歩いてきた。あまり仲がよさそうに見えない様子で会話をしている二人を見て、ルカが固まった。それまで浮かべていた笑顔が消えたのをメイコが気がついた。
「鈴木博士……」
「知り合いなの?ルカ」
ルカはこわばった顔で、仮起動時の担当だと言った。
メイコは驚いてから、鈴木博士の方を見て身構えた。仮起動時のルカに教育を施したという事は、ルカの考え方の基本となった人物である。それはつまり、ミクとルカが喧嘩する要因となり、未だルカとカイトが微妙な距離感を保っている原因である、あの思考を教え込んだ人だ。思想が合うだろうか、まさかミクたちが反発しなければいいがと、メイコは不安に思った。
他の三人は、緊張を隠せないルカとメイコに気がつかないでいる。
そして、三人のうちの一人であるミクが、周囲を見渡しながらリンに聞いた。
「カイト兄さんと博士は?」
「カイにぃは、開発部に行ったよ。会ってない?」
「全然。行き違いかな」
「あ、それと、博士は本社に長期間行くとかで……他の人が主任代理として来るって聞いてるけど」
誰が来るかは知らないよとリンが言うのだ。
それを聞いて、メイコは何故田中と鈴木が付き添いで来たのかを理解した。最近物騒になったからと言っても、昔はボーカロイドだけで移動する事もありえた。今回は二人も付き添いがいたのは、安全の為もあるだろうが、多分、本当の理由は博士の代わりとしてやって来たのだろう。
メイコの予想通り、開発部から来た二人の人間は、自己紹介の後に山田博士の代理を務めると言ったのだった。
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