『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』文章保管用ブログ。
Posted by ささら - 2010.03.22,Mon
報酬の数日後の話。
その日、彼女は調子が悪かった。朝から寝坊をして慌てて飛び起きたのだが、本日は休みだという事にしばらくして気が付き、もったいない気分になった。もっとのんびりした方が得だったな、などと、普段からきっちりとした生活を行っている彼女らしからぬ事を考えた。
これを調子と称するのも不思議なものだ。本来、機械である彼女たちに、バイオリズムなどないはずである。バイオというからには生物のもので、工学によって作り出されたボーカロイドの彼女にあるはずがない。しかし、日によって声の出がおかしかったり、あるいは恐ろしいほどうまく歌える日が存在するのである。本職である博士が言うには、機械が気候や環境に影響を受けないのであれば、大企業のコンピューター室で必死に空調を利かせたりなどしないはずであり、彼女たちアンドロイドにあってもおかしくはないだろうとの事だ。気候や環境、なるほどとは思うが、しかし、メイコが感じる調子はそうではなく、もっと、機械の身体の根幹から生まれて左右させるものであった。それをうまく伝えられず、結局納得も出来ないままである。
必要ない時間だけを儲けた形になった。どうするかなと考えてながらパンとコーヒーを交互に口に入れていると、カイトがリビングの白い扉を開けて入ってきた。彼は右手に掃除機本体を持ち、左手で掃除機のホース側を持ち上げている。どうやら掃除するようだ。
「おはよう、めーちゃん」
「おはよう。朝食中だから、掃除は少し待って欲しいのだけど」
「いいよ。洗濯物も干さなきゃいけないから」
メイコが食事をしている合間に、カイトは屋上に行った。
朝食はパンとスープといういつもの取り合わせだが、いつもより急がなくていい分、味わう余裕があった。少しスープがしょっぱいかなと思ったのも、それが理由だろう。
カイトが下りてきたのは意外と早く、もう終わったのねとメイコは特に感慨もなく口にする。カイトは、今日の洗濯物はそんなに量がないからと言って、コーヒーを作り始めた。
「そうだ、めーちゃんは今日、出かける予定ある?」
唐突にカイトが聞いてきたので、メイコはパンを口元に運んでいた手を止める。自然と眉が潜められた。
メイコの今日の予定は、仕事がないため、有り体に言えばない。それで、午前は自主練習でもして、午後はカイトに付き合って貰って買い物にでも行こうかと思っていた。
「ないけど、どうしたの」
「僕、夕方から出かけちゃうから、洗濯物を入れといて欲しいんだけど」
そのカイトは用事があるようだった。
「出かける?用事があるのかしら」
「うん。乾いてる時間ではあるんだけど、一人でやると間に合わなさそうだからね。お願い」
カイトが手の平を合わせて頼んでいる間、食事が終わったメイコは、両手をはたいてパン屑を皿の上に落とし、ティッシュを取り出して口元を拭いていた。そして、ゴミ箱まで捨てに行ってから、ついでにカイトの目の前までやって来ると、まだ拝むポーズのままの彼にこう聞いたのだ。
「入れるのはいいけど。ねえ、どこ行くの」
聞いた途端、カイトは自らの迂闊さに気が付いたような顔をし、へにゃっとしたへたれた笑い顔を作った。そして、ちょっとねと言葉を濁して口を閉じたので、メイコは顔を曇らせた。少し八つ当たりがあったかもしれないと後で思い出した時に考えたが、この時は、単純に彼の表情と行動が気に入らないという感情がほぼ全てであった。
彼が黙った隙に思考を巡らせてみる。ボーカロイドたちが出かける予定など、そう多くあるものでもない。メンテナンスは内部でやってしまうし、買い物は多少やる事があるものの、そう機会があるものでもなかった。最近は特に、危険という理由で所員が代わりに行くケースが多く、それがメイコだけでなくミクやリンやレンの不満を募らせていた。ともかく、外出する理由で一番多いのは仕事である。カイトは歌う事を積極的にせず、また、会社の方針なのか、ボーカロイドとしての仕事は行なっていない。ただ一つ、例外を除いて。
「例の、作曲家さんと作詞家さんの趣味のアレかしら。もしかして」
カイトは降参したように両手を上げて頷いた。
「うん、まあ」
メイコが言ったのは、カイトが度々出かける理由になっている仕事の事だ。春になる前のまだ寒い時期、ミクとメイコが歌の収録をしていた時、博士がカイトとリンとレンを連れて見学にやってきた。その時、珍しくカイトは歌を歌い、その声をメイコたちの仕事相手が気に入ったらしい。以来、ちょくちょくカイトはその相手が趣味で作った曲を歌っていた。それを隠していたために、研究所の面々を巻き込んだ事件が生まれたのだが、メイコが事実を知ったのはつい最近、随分後になってからだった。
「いつまでなの」
「移動で一時間だから、三時に出て、夜の九時には帰ってこれるんじゃないかな」
「三時ね」
着々と堀を埋められている事にカイトは気が付いているだろうか。いるかも知れないとメイコは思い、同時に、いないだろうと考えた。どちらも合っている気がしたが、確かめる術はない。
「二時頃だと、服が乾いてるか微妙だから、三時か四時頃、中に」
「私もそれに付いて行きたいのだけど」
などという発言がメイコの口から飛び出した為、カイトは身体を硬直させた。たっぷり三十秒は固まっていただろう。
メイコは考えが半分外れていた事を知り、彼の神秘的な、あるいは理解不能な思考を、やたら警戒している自分がいると知った。
青の瞳が揺らめきもせずに凝固している姿を、メイコの赤黒い瞳孔がじっと見つめている。吸い込まれそうな彼女の赤銅色の中に、感情の色を見て取る事はできない。表情も、目と同じく、何の印象も受けない。空恐ろしい。それが脳も身体も元の動きを取り戻した時、カイトの精神回路が最初に気付いた感覚だった。
「……どうして?」
不審そうに眉を顰めて彼は聞く。不審そうと言うよりは、逃げたがっている風で、メイコは彼の癖のようなものがまだ強く残っているため息をつきかける。
「かわいい我が弟のお仕事を見学したくなったから」
「また、からかわないでよ」
「かわいいは冗談として、今日は暇だし、他人の仕事を見て置くのもいいと思って」
メイコとカイトの背丈にさほど差はない。5cm前後カイトが高い程度で、そんな角度から見つめる必要はないはずだが、メイコは深く屈んで自らを下に置くと、彼を見上げながら問いかけた。
「それとも、何か理由があって駄目なのかしら。例えば、見せてはいけない会社の秘密があったりとか、あなたの秘密、とか。それが理由なら今日は研究所で大人しくしているわよ。どうなの?」
ある意味脅迫だ。脅迫は、暴力を使わないものであっても、ともすれば信頼関係を悪化させるものだ。彼女がそれを恐れずに使った事を、カイトはどう受け取ったのだろうか。彼は首を左右に振って答えた。
「いいや。構わないと思うよ。でも、これ、仕事じゃないんだけど」
でも、と言い出した辺りから、目前の彼女に影響されて声は小さくなり、僅かに床と壁に反射して、すっかり消えてしまった。
そうやって約束を取り付けたメイコだが、彼を怪しんでいたわけではなく、困らせたかったわけでもない。彼の普段を見てみたいと日頃から思っていたのだ。特に、一番立ち入らせて貰えていない部分である、彼の仕事に関しては知りたかった。唐突にチャンスが降って湧いたと胸を躍らせて、彼女は使った食器を片付けはじめている。そんな意図とは裏腹に、約束させられた彼の口から出た嘆息は、困ったものだなぁという文字が見え隠れするのだ。
太陽は頂点から傾き、時計は二時三十分になるかならないかという時間になった。
洗濯物が乾いているのを確認したメイコは、まだ渋るカイトを引っ張って屋上へ行くと、各人の服を手分けして取り込んだ。すると三時直前になってしまい、二人は急いで仕度をして、警備員に挨拶した後に研究所を飛び出した。少し歩いたところにあるバス停で五分待ち、バスに乗って駅まで移動する。そこから目的の駅まで電車特有の振動に揺られ続けた。最終的に、目的地に着いたのは四時直前であり、カイトが一時間程度かかると言ったのは的確な予想だったわけである。
人通りの少ない、車一台がやっと通行できる程度の幅の道の片隅に、そのスタジオはあった。小さいビルの一階部分は、採光のためか、足元から天井近くまでガラス窓で、向かって左側の一部分だけが横にスライドするようになっている。扉の前に二人が立つと、機械が反応して自動で開いた。
「使った事ないスタジオね」
「ここ、基本的に防音室とアンプが揃ってるくらいのシンプルなところだから。バンドが練習で使う事が多いらしいよ」
「へえ。良く知ってるじゃない」
メイコに言われて肩を竦めた。人に聞いただけだと彼は言って、目の前のドアをくぐる。
「あの、四時から予約していた……」
受付で暇そうにしていた若い男に話しかけると、彼はすぐ手元の表を見て、随分だるそうに言った。
「ん、ああ、もう人来てるっすよ」
そう言った後に、メイコにちらりと視線をやって、興味と好奇心を多く送ってきた。メイコは気にもせず、カイトに部屋の場所を聞いている。奥らしい。
「機材借りる時はここに機材の名前書いて適当にどっぞ。今日はあんま客いないんで」
「はあ。どうも」
カイトはやる気のない彼にやる気のない言葉を返して、奥へと向かった。メイコがその後ろを行くのを若い男はじっと見ていたが、やがて欠伸をして、隅にあったテレビ画面に注意を向けた。
次:メイコの休日2
これを調子と称するのも不思議なものだ。本来、機械である彼女たちに、バイオリズムなどないはずである。バイオというからには生物のもので、工学によって作り出されたボーカロイドの彼女にあるはずがない。しかし、日によって声の出がおかしかったり、あるいは恐ろしいほどうまく歌える日が存在するのである。本職である博士が言うには、機械が気候や環境に影響を受けないのであれば、大企業のコンピューター室で必死に空調を利かせたりなどしないはずであり、彼女たちアンドロイドにあってもおかしくはないだろうとの事だ。気候や環境、なるほどとは思うが、しかし、メイコが感じる調子はそうではなく、もっと、機械の身体の根幹から生まれて左右させるものであった。それをうまく伝えられず、結局納得も出来ないままである。
必要ない時間だけを儲けた形になった。どうするかなと考えてながらパンとコーヒーを交互に口に入れていると、カイトがリビングの白い扉を開けて入ってきた。彼は右手に掃除機本体を持ち、左手で掃除機のホース側を持ち上げている。どうやら掃除するようだ。
「おはよう、めーちゃん」
「おはよう。朝食中だから、掃除は少し待って欲しいのだけど」
「いいよ。洗濯物も干さなきゃいけないから」
メイコが食事をしている合間に、カイトは屋上に行った。
朝食はパンとスープといういつもの取り合わせだが、いつもより急がなくていい分、味わう余裕があった。少しスープがしょっぱいかなと思ったのも、それが理由だろう。
カイトが下りてきたのは意外と早く、もう終わったのねとメイコは特に感慨もなく口にする。カイトは、今日の洗濯物はそんなに量がないからと言って、コーヒーを作り始めた。
「そうだ、めーちゃんは今日、出かける予定ある?」
唐突にカイトが聞いてきたので、メイコはパンを口元に運んでいた手を止める。自然と眉が潜められた。
メイコの今日の予定は、仕事がないため、有り体に言えばない。それで、午前は自主練習でもして、午後はカイトに付き合って貰って買い物にでも行こうかと思っていた。
「ないけど、どうしたの」
「僕、夕方から出かけちゃうから、洗濯物を入れといて欲しいんだけど」
そのカイトは用事があるようだった。
「出かける?用事があるのかしら」
「うん。乾いてる時間ではあるんだけど、一人でやると間に合わなさそうだからね。お願い」
カイトが手の平を合わせて頼んでいる間、食事が終わったメイコは、両手をはたいてパン屑を皿の上に落とし、ティッシュを取り出して口元を拭いていた。そして、ゴミ箱まで捨てに行ってから、ついでにカイトの目の前までやって来ると、まだ拝むポーズのままの彼にこう聞いたのだ。
「入れるのはいいけど。ねえ、どこ行くの」
聞いた途端、カイトは自らの迂闊さに気が付いたような顔をし、へにゃっとしたへたれた笑い顔を作った。そして、ちょっとねと言葉を濁して口を閉じたので、メイコは顔を曇らせた。少し八つ当たりがあったかもしれないと後で思い出した時に考えたが、この時は、単純に彼の表情と行動が気に入らないという感情がほぼ全てであった。
彼が黙った隙に思考を巡らせてみる。ボーカロイドたちが出かける予定など、そう多くあるものでもない。メンテナンスは内部でやってしまうし、買い物は多少やる事があるものの、そう機会があるものでもなかった。最近は特に、危険という理由で所員が代わりに行くケースが多く、それがメイコだけでなくミクやリンやレンの不満を募らせていた。ともかく、外出する理由で一番多いのは仕事である。カイトは歌う事を積極的にせず、また、会社の方針なのか、ボーカロイドとしての仕事は行なっていない。ただ一つ、例外を除いて。
「例の、作曲家さんと作詞家さんの趣味のアレかしら。もしかして」
カイトは降参したように両手を上げて頷いた。
「うん、まあ」
メイコが言ったのは、カイトが度々出かける理由になっている仕事の事だ。春になる前のまだ寒い時期、ミクとメイコが歌の収録をしていた時、博士がカイトとリンとレンを連れて見学にやってきた。その時、珍しくカイトは歌を歌い、その声をメイコたちの仕事相手が気に入ったらしい。以来、ちょくちょくカイトはその相手が趣味で作った曲を歌っていた。それを隠していたために、研究所の面々を巻き込んだ事件が生まれたのだが、メイコが事実を知ったのはつい最近、随分後になってからだった。
「いつまでなの」
「移動で一時間だから、三時に出て、夜の九時には帰ってこれるんじゃないかな」
「三時ね」
着々と堀を埋められている事にカイトは気が付いているだろうか。いるかも知れないとメイコは思い、同時に、いないだろうと考えた。どちらも合っている気がしたが、確かめる術はない。
「二時頃だと、服が乾いてるか微妙だから、三時か四時頃、中に」
「私もそれに付いて行きたいのだけど」
などという発言がメイコの口から飛び出した為、カイトは身体を硬直させた。たっぷり三十秒は固まっていただろう。
メイコは考えが半分外れていた事を知り、彼の神秘的な、あるいは理解不能な思考を、やたら警戒している自分がいると知った。
青の瞳が揺らめきもせずに凝固している姿を、メイコの赤黒い瞳孔がじっと見つめている。吸い込まれそうな彼女の赤銅色の中に、感情の色を見て取る事はできない。表情も、目と同じく、何の印象も受けない。空恐ろしい。それが脳も身体も元の動きを取り戻した時、カイトの精神回路が最初に気付いた感覚だった。
「……どうして?」
不審そうに眉を顰めて彼は聞く。不審そうと言うよりは、逃げたがっている風で、メイコは彼の癖のようなものがまだ強く残っているため息をつきかける。
「かわいい我が弟のお仕事を見学したくなったから」
「また、からかわないでよ」
「かわいいは冗談として、今日は暇だし、他人の仕事を見て置くのもいいと思って」
メイコとカイトの背丈にさほど差はない。5cm前後カイトが高い程度で、そんな角度から見つめる必要はないはずだが、メイコは深く屈んで自らを下に置くと、彼を見上げながら問いかけた。
「それとも、何か理由があって駄目なのかしら。例えば、見せてはいけない会社の秘密があったりとか、あなたの秘密、とか。それが理由なら今日は研究所で大人しくしているわよ。どうなの?」
ある意味脅迫だ。脅迫は、暴力を使わないものであっても、ともすれば信頼関係を悪化させるものだ。彼女がそれを恐れずに使った事を、カイトはどう受け取ったのだろうか。彼は首を左右に振って答えた。
「いいや。構わないと思うよ。でも、これ、仕事じゃないんだけど」
でも、と言い出した辺りから、目前の彼女に影響されて声は小さくなり、僅かに床と壁に反射して、すっかり消えてしまった。
そうやって約束を取り付けたメイコだが、彼を怪しんでいたわけではなく、困らせたかったわけでもない。彼の普段を見てみたいと日頃から思っていたのだ。特に、一番立ち入らせて貰えていない部分である、彼の仕事に関しては知りたかった。唐突にチャンスが降って湧いたと胸を躍らせて、彼女は使った食器を片付けはじめている。そんな意図とは裏腹に、約束させられた彼の口から出た嘆息は、困ったものだなぁという文字が見え隠れするのだ。
太陽は頂点から傾き、時計は二時三十分になるかならないかという時間になった。
洗濯物が乾いているのを確認したメイコは、まだ渋るカイトを引っ張って屋上へ行くと、各人の服を手分けして取り込んだ。すると三時直前になってしまい、二人は急いで仕度をして、警備員に挨拶した後に研究所を飛び出した。少し歩いたところにあるバス停で五分待ち、バスに乗って駅まで移動する。そこから目的の駅まで電車特有の振動に揺られ続けた。最終的に、目的地に着いたのは四時直前であり、カイトが一時間程度かかると言ったのは的確な予想だったわけである。
人通りの少ない、車一台がやっと通行できる程度の幅の道の片隅に、そのスタジオはあった。小さいビルの一階部分は、採光のためか、足元から天井近くまでガラス窓で、向かって左側の一部分だけが横にスライドするようになっている。扉の前に二人が立つと、機械が反応して自動で開いた。
「使った事ないスタジオね」
「ここ、基本的に防音室とアンプが揃ってるくらいのシンプルなところだから。バンドが練習で使う事が多いらしいよ」
「へえ。良く知ってるじゃない」
メイコに言われて肩を竦めた。人に聞いただけだと彼は言って、目の前のドアをくぐる。
「あの、四時から予約していた……」
受付で暇そうにしていた若い男に話しかけると、彼はすぐ手元の表を見て、随分だるそうに言った。
「ん、ああ、もう人来てるっすよ」
そう言った後に、メイコにちらりと視線をやって、興味と好奇心を多く送ってきた。メイコは気にもせず、カイトに部屋の場所を聞いている。奥らしい。
「機材借りる時はここに機材の名前書いて適当にどっぞ。今日はあんま客いないんで」
「はあ。どうも」
カイトはやる気のない彼にやる気のない言葉を返して、奥へと向かった。メイコがその後ろを行くのを若い男はじっと見ていたが、やがて欠伸をして、隅にあったテレビ画面に注意を向けた。
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