レンくんがんばるの巻。
ズバっと切り込む辺りが長所であり短所ですね。
「この歌手さん、この前会ったよ」
テレビ画面に映っているのは、前から人気の歌手だ。新曲を披露している。彼女はとても人間らしい歌い方をする。ボーカロイドでは再現できない領域だ。
「あ、レーコちゃん。わたしも何回か収録一緒になったなぁ。リンちゃんはどこで会ったの?」
「アンドロイドの展示会に来てた。プライベートだったみたいだけど」
リンは少し表情を曇らせる。
「どうだった?」
話して良いのか躊躇した分、沈黙が流れた。
彼女の印象を思い出しながら、ポツリと、小さな声で言う。
「……好かれてない感じだった」
「どうして?」
「なんか、冷たい感じで……ボーカロイド、嫌いなのかな」
リンは、ボーカロイドに慣れていない人間の存在に困惑している。周りはボーカロイドにかかわる人間ばかりだった今までの弊害だ。
「嫌いでも口に出すと大変だから黙ってる歌手の人多いみたいだし、嫌いかもしれないね。そうじゃないといいなって思うけど」
「大変なの?」
「んー、私はネットは視聴規制あるから良く知らないけど、表立ってボーカロイド嫌いって言うと、その、メイコ姉さんのファンの人とか、私のファンの人とかが……ね、すごいらしいの」
「そう、なんだ……」
実のところ、ミクとメイコのファンのすごさをリンは知っている。熱狂的なファンが研究所に押しかけて来た事も一度や二度ではないし、ライブで一緒にやってみても、ファンの熱心さは肌で感じた。わからないわけがない。
しかしミクはあまりその事を自覚していないようだった。リンにしてみればそれが不思議だ。
「別に戦ってるわけでも対立してるわけでもなくて、むしろ歌手の人とは色々歌の話をしたいんだけど、これがなかなか」
本当に困った顔でミクはそう言ったが、仕方ないよと言っているようでもあった。
「難しいんだね」
リンはそんな状況へのせめてもの抵抗とでも言うように、テレビのチャンネルを変えた。
今日はミク姉が出るバラエティ番組の見学だ。
メイコ姉曰く、バラエティの撮り方は知っておいたほうが後で苦労しないらしい。
まだセットの準備中で、出番が来るまでミク姉も一緒に来たリンも控え室だ。
オレは、なんとなくブラブラしている。……本当は、控え室に置いてあった服で着せ替え人形にされそうだったから逃げてきただけだ。
それにしても、こういう所は何度来ても違和感というか、場違いな感じが否めない。
どうしてもここにいていいものか迷うというのは、周りの仕事に圧倒されているだからだろうか。
全く情けない話だけど、スタッフに気圧されている。ため息みたいなものが出た。
しかしそれにしても、テレビ局というのはどうしてこう。
(迷った)
迷路みたいになっているのだろうか。
時間まではまだかなりあるが、ここがどこかはわからない。
ダンボールと衣装の山、それから何に使うかわからない機械が、狭い廊下を更に圧迫していた。これでは満足に前も見えない。
密林を歩くみたいに(実際歩いた事はないけど)そろりそろりと荷物を避けて、どうにか広い廊下にでも出ようとしていると、小さい声が聞こえてきた。
耳を澄ますと、すすり泣く声だ。誰かが近くで泣いてる。
辺りを見回すと、発生源は特定できた。数メートル先のダンボールの影だ。
この先に進みたいが、するとあのダンボールの前を通る事になる。
流石に気付かなかった事にできそうにもないし、無視するのも気が引けた。仕方がないと先に進む。
二つ詰まれたダンボールの真横には軽くウェーブした長い髪がうずくまっている。
足音に気がついたようで顔を上げた。若い女の人は案の定泣いていて、化粧の一部が流れてしまっている。何かの番組の出演者なんだろうか。
オレが蛇に睨まれた蛙のように固まっていると、泣きはらしていた顔がむすっとしたものになった。
「なによ、見世物じゃないの」
手で涙を拭いながら彼女は言った。
「別に通りかかっただけで……」
「うっさい」
ぴしゃりと遮られた。顔はかわいいのにキツイ物言いをする。
「……あんた、アンドロイド?」
「え?」
唐突に聞かれたので聞き返してしまった。
「つうかあんたみたいな美形顔、機械じゃなきゃいないもんね。いいよねツクリモノは、美形に作られてさ」
なんとも言えない。だってそれはその通りなんだ。不細工に作るって事はほぼないらしい。博士に言わせると、アンドロイドが人間の願望だからだそうだけど。
「顔もいいし歌も踊りもプログラムでなんとかしちゃうんでしょ。楽でいいわね」
楽?……これにはカチンときた。
「アンドロイドってだけで優遇されるし。初音ミクとか、出るだけで視聴率アップだって、こぞって取り合いだもん。……はぁ……」
ムカつきはしたけど、彼女のため息で反論する気も失せた。あまりに疲れているようだったから。
タレントさん、なんだろう。歌や踊りの話も出してたし、歌手かダンサーなのかもしれない。
そういえばどこかで顔見たことあるような気がする。思い出せない。
まだ涙目で座るその子の隣に腰かける。
彼女は怒らない。本当は話を聞いて欲しいんだ。その気持ちはよくわかる。オレも辛い時に話を聞いてもらいたいと思うから。それだけで少しは救われるんだ。
「……さっき失敗しちゃってさ、もう次ない、絶対干される。あー……もうだめだぁ……」
そう言って、また立てた両膝に顔を埋めている。
「失敗したら、アンドロイドだって怒られるし、それくらい」
「それでもアンドロイドならまだ仕事がある。目新しいってだけで仕事が来る。それに、使えなかったら別のを用意し」
「アンドロイドだって使えないって言われたら廃棄されるしかないんだよ!」
……あ……つい、声を荒げてしまった。
「あ、その……ごめん」
謝って床に視線を移す。白の床材は少し黒ずんでいた。
ここのところずっと、廃棄って言葉にピリピリしてしまう。まだまだ何もあいつについての整理をつけられてないんだ。アンドロイドも人間も役に立たなければ捨てられて、それで終わりだ。その先なんてない。カイトみたいに。
「……こっちこそごめん……」
かすれた声で彼女はしおらしく言ったので、オレは謝りたい気持ちになった。そんなに気にして欲しかったわけでもないし、そもそも自分でもあんな事言うなんて思ってなくて驚いたのだ。
「……私ね、トップアイドルになりたくてこの業界に入ったの。きれいな衣装着て、歌を歌って、踊って。フラッシュいっぱいの中をサングラス姿で移動したりとか、憧れてて……」
そうして彼女は語った。中学生の頃に田舎からほとんど一人で上京してきた事。憧れてた業界に入って競争を繰り広げた事。
「業界入って6年よ、6年。色々あった。疲れたり、楽しかったり、苦しかったりもした。友達もできたし、もちろん嫌いな奴だっていっぱいいる。それは、人には言えないけどね」
嫌いな奴、か。
「……初音ミクは……アンドロイドは嫌い?」
人間の歌手やアイドルの仕事を奪っているという話は聞いているし、率直な話を聞いてみたかった。
オレの質問に彼女はとても驚いたようだった。驚いて、話すべきか迷うように目を空中に泳がせる。
そして、沈黙の後、彼女は言った。
「嫌いよ。なんでもできるし、美形だし、仕事取るし。……初音ミク、前に喋った事あるんだけどさ、純粋で、悪意なんて少しも持ってませんって感じで、いいこでさ、その辺りがもう最悪。……恨めないし、きっついよ、正直」
「うらめない?」
「恨んだらバカみたいじゃん。それに、アンドロイドが悪いわけじゃなくて、そうなっちゃったのが悪いんだし……でも」
なんでもないように言っていたのが、‘でも’の一言で一転する。暗い、ザラリとした声だ。
「でも……でもさ、ぶっちゃけすっごい憎い。憎くてたまらない」
目元に暗い影が差し込み、ギラギラとした眼光が目の前の壁を突き刺す。
何かを憎悪する人間の顔はこんななのかと思った。
「ホント、仕事取るのとか、カンベンして欲しいんだけど。単なるロボットが……なんでロボットなんかに……」
彼女は、オレのことを忘れたかのようにつぶやいている。
人間はこんなにも憎しみを持つ。それを隠し持って生きるのは辛いということくらい、まだ作られて間もない経験もないオレにだってわかった。
「なんて。うそうそ、憎んじゃいけないっしょ」
さっきの影を振り払うように笑う。辛そうに、悲しそうに、寂しそうに。仕方ないと言っていたカイトと、同じ表情をしている。しょうがないって区切りをつけて、それでいいって誤魔化すひとの顔。
……憎むとか、多分一般的には、いけないものなんだろう。だけど、それでもそれを否定して誤魔化すのは……それじゃ駄目なんだ。
「憎んでもいいよ」
「え?」
「否定する事ないよ、嫌いなら、嫌いって言えばいい。だって嫌いなんだろ。自分の感情否定して、誤魔化しても、意味ないじゃんか」
「お子様。あのね、駄目なのよ。そうしないと生きてけないのよ、人間の世界では」
「他人に嘘をつくことはあるかもしれない。だけど、自分に嘘ついて誤魔化したって、誰も助けてくれないんだ」
彼女は痛そうにオレの言葉を聞いた。まっすぐと見据えた彼女の瞳が水面の波紋のように揺れる。
そして、そうねと言って涙を隠すようにうつむいた。
「……ごめん、もう行って……」
彼女は、手を払うように振って拒絶を示す。
今、何も言う事もできない。何を言っても逆効果になる。
涙声の彼女に声をかける事もできず、オレは立ち上がり、来たほうとは反対方向を行く。
大体、最初ここを通りかかっただけだし、当初の目的通りこの先に行く事ができるんだから、それは喜ばなくちゃ。
そうは言っても、気も足も重い。鉛みたいだ。はぁ、とため息が漏れたところで、後ろから声がした。
それは‘ありがとう’と聞こえた。
控え室に戻ってきたら、それなりに時間は押していた。
「レンどこ行ってたの!もう」
「まあ開始までに間に合ってよかったよ」
「誰かに絡まれてたんじゃないでしょうね」
絡まれていたといえば絡まれていた。
……そうだ、リンとミク姉ならさっきの女の人のことを知っているかもしれない。
オレはそう思って、さっき人と話したこと、そしてその女性の特徴を伝えた。もちろん、会話の内容は伏せた。
すると。
「もしかしてレーコちゃんかなぁ」
ああ、どこかで見たことあると思ったら、何度か歌っている姿を見たことがある。かわいいという形容詞の似合う人だと、思ったことを覚えてる。
「ながーい茶色の髪のウェーブがかわいいの。歌も上手いし、人気だよねー。踊りもうまいし」
ミク姉はそう言って褒める。完全に本心だろう。こういう評価で嘘をつくなんてしないから。
リンは淡々とした表情で、ふーんと相槌を打った。
「レーコちゃん、会ったんだ。……ねぇ、ボーカロイドについて何か言ってた?」
「いや、別に」
わざわざ嫌いだって言うのを伝える必要もないから誤魔化した。
これから仕事のミク姉のテンションを下げたら元も子もないし、リンはナイーブなやつだから嫌ってたなんて聞いたら傷つくだろうし。
それに、あの女の人の不利になることはしたくない。
アンドロイドは嫌いだといわれても、嫌な気分にも、ましてや嫌いにもならなかった。
妙な話だけど、嫌いだと言われて、オレは救われた気がするんだ。
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