『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』文章保管用ブログ。
Posted by ささら - 2010.01.15,Fri
レンと黒のジャケット2の続き。
これが、二日前の顛末である。
レンはこの後も彼女の事を、正確には彼女たちの事を忘れられず、上の空で仕事をこなした。今のところ、周りはみな疲れているのかと思い、仕事のパフォーマンスについては追求も危惧もしていない。寂しいなとレンは思うが、勝手な八つ当たりの類である。
ルカはレンの様子をじっと見ていたが、やがて夕食の香りが近づいてくると、彼女もそちらに意識を向けていった。そうしてレンは一人で増員される警備についてと、あのアンドロイドについて考えている。
記憶の中のあのアンドロイドは、空虚な目をしていた。少なくとも、あの瞳から何の感情もうかがう事はできなかった。かわいそうだと思うのはレンの勝手で、彼女がどう思っていたかなんて知る事はできない。しかし、悲鳴を上げて、自らの身を庇っていたのは確かである。喜んではいないはずだ。
研究所の人間は、アンドロイドに対して優しい。そのため、レンは意思と痛みを強制される理不尽を感じた事が殆どない。多少不自由でも自由にさせて‘もらえる’生活しか知らないのだ。そんな彼が、強いられる苦痛はどんなものなんだろうと想像してみると、きっと信じられないほどの、絶するほどのものなんだろうとぼんやり思っても、それさえ的を射る感性だとは言い切れない。結局、レンは想像するしかないし、理解できないのだ。
人間に襲われたルカはそれが少しわかるかも知れないが、聞くほど無神経ではない。そして、彼女には心安らかであって欲しいとレンは思っている。そして、もう一人、この研究所でわかりそうな者に思い当たった。即座に首を振った。
(駄目だ。聞いたら悪い方に行ってしまう気がする。また叩く羽目になるのはごめんだ。叩いた方だって痛いのに、あいつはそんな事考えない。オレの苛立ちだって、正確に理解してはくれないんだ。それに、今度は叩けないかもしれない。同じボーカロイド相手でも、叩いていいと思考できる状態なんて早々あるものじゃない。あっていいものでもない)
「レン、レン!」
突然耳に入ってきた声に顔を上げた。じっとメイコが覗き込んできている。レンは少し恥ずかしくなって、それを隠すように慌てて返事をした。
「な、何?」
「何って……そろそろご飯だから配るの手伝ってって言ってたのに、まったく返事しないんだもの。どこか悪い?」
どうやらかなりの時間、記憶の中で過ごしていたようだ。すっかりみんな食事の準備に取り掛かっていた。
「レン君、少し手伝ってー」
ミクが呼んでいる。レンは断る理由もない。そして、今まで無視していた埋め合わせを行うのは当然だろう。
彼はメイコに小さく会釈して、ミクの方へと寄って行く。ミクとリンは用意された皿をテーブルへ移動させている途中だった。ルカが飲み物を作っているが、もう手は必要ないように見えた。そのため、レンを呼んだミクの手伝いをする事にした。
すぐに夕餉の仕度が整い、全員が卓につく。レンの前にはおいしそうな料理が並んでいた。それを目の前にしても、気分が上ったりはしなかった。
いただきますと合唱し、めいめいが箸を動かし始めると、レンもそれに習う。しかし、いつもより鈍いものだった。メイコがすぐにレンへ問いかけたのは、彼女がいつも兄弟を気にかけている事の証左である。
「レン、本当に大丈夫?体調が悪いんじゃないかしら?」
「なんでもないよ」
そう言った後になんだよと小さく呟いた。心配が束縛に思えるのは、完全に受け手の問題である。不満が滲み出る態度を、隣りに座るカイトが横目で見ていた。彼が注視していながらも、話し掛けなかった理由は本人にしかわからないが、レンはそれを問わなかった。見ていた事に気が付いていなかったからだ。
微妙な雰囲気のまま食事は進んでいた。皿の上のものがほとんどなくなった頃、ルカが口を開いた。
「博士、明日から警備を増やすと聞きましたが、本当ですか?」
ルカが本当かと聞いたのは、気配がなかったからだ。普通、下見や目通しくらいはするだろうと彼女は考えたのだ。前日まで、増員される警備員の気配すらない。心配になるもの無理はないだろう。
博士はルカの方を見ると、うんと頷いた。
「本当だよ。外に出る時用の、個人警備員ね。業務時間は朝から晩までだから、今まで通り夜は外出できない。けど、彼と一緒なら外出は自由になる」
「博士」
「なあにー、レン」
「それ、自由って言わないんじゃないか?今までだって、研究所の警備の人と一緒なら外出できた。変わらないように聞こえるけど」
「あの人たちは、本来、研究所の警備だけが仕事なんだよ。今までみんなの外出について来てくれたのは、彼らの好意だ。だからそれはイレギュラーと考えるべきだと思うねぇ」
「でも、実態はそうだったじゃん」
「うーん、まあそうだね。でも、レンがちょっと散歩に出たいなって時に、警備の人に頼んだりできた?気後れしてできなかっただろう?実態に合わせて、ちゃんとしたものを用意するのは、悪い事じゃないと思うんだけどなぁ。ね?」
確認するように頭を傾けてた博士は、何か浮かれていると言おうか、落ち着かないようにレンには感じられた。口数がやたら多い。どうしてだろうと考えるが、特に理由も思い浮かばない。多分、自分の知らないところで、何かが起こったんだろう、レンはそう結論付けた。
「明日の朝から、とりあえずミクの仕事についてく予定だからよろしく。あ、僕も一緒に行くよ。それで、メイコとレンとルカは新井さんが送り迎えを担当するけど、お仕事中はいないから、なるべく人の多いところにいるようにしてねぇ。リンにはカイトがくっついてくから、カイト」
「はい」
「よろしく~」
カイトに対してはそれだけだった。カイトもただ頷いただけで、特に質問もしない。事前に聞いている事がうかがえた。
「て事で、明日引き合わせるから、この話は今日はここまで。食べよう、食べよう」
無理矢理に話しを終わらせて、博士は食事に戻った。レンはもう少し聞きたかったが、無駄そうな雰囲気で、気を落としながら諦めた。この話を続けたかったのは何もレンだけではない。実のところ、ルカも、ミクも、リンも、メイコも、先の事を聞きたかった。
彼らボーカロイドを無視した博士が、食事を終えて立ち上がったのはすぐ後だった。博士が部屋から出て行くと、誰からともなくため息が広がった。
口数は少ないまま、食べ終わった者から自室に戻っていく。最後まで残ったのはレンとカイトだ。カイトは食事の後片付けのためであり、レンはカイトに聞きたい事があった。
「明日来るやつの事、知ってるのか?」
つけてもいないテレビの画面を睨むレンは、自らが座るイスの上に片足を上げた。話しかけた相手は調理場の奥であり、こちらからは見えにくく、またレンも見る気はなかった。水流の音の中、返事が聞こえてきた。
「知らないよ。でも、悪い人は来ないはずだ。どうもレンは感傷的になってるように見える。それが今日は周りに感染してしまったようにも」
「オレのせいかよ」
「いや。みんな、少しずつ雰囲気に流されやすくなってた。どうしてだろうね、そわそわしているようだ。博士がそうな理由はわかるんだけど」
確かに、いつもならリンはもっとうるさく喋っただろうし、ミクもニコニコとして笑顔を絶やさず、明るい話を富にするだろう。ルカもメイコも何かおかしかった。少なくとも、今日の食卓を思い出したレンはそう感じた。そして、何より博士が変にお喋りで、落ち着かない様子だった。
「なんかあったのか?」
「博士は博士で面倒に巻き込まれたんだよ。まったく、I社がアーランド博士なんて呼んで来るから……愚痴ってもしょうがないんだけど」
見えはしないが、多分カイトは肩を竦めて、現実を放るように息を吐いただろう。レンはそう予測し、その予測は完全に当たっていた。
「あーらんどはかせ?」
水の音が止んだ。キッチンの影から出てきたカイトは、レンの隣りのイスに座った。こちらは窓の外を見ている。
「精神回路の、特に精神のパターンに関する研究者だけど、レンたちに直接関わりのある人じゃない。気にしなくていい」
「気になる」
ちらりとレンを見たカイトが、少々の沈黙の後に、立ち上がった。
「アーランド博士の著作と関連書籍ならいくらか持ってる。読む気なら渡すよ。ちょっと読みにくいけど、中々面白いかもしれない。僕は、あまり、好きじゃないけれど」
素直に嫌悪を表す事は珍しい。思わず、レンの片眉が上がった。
「そうそう、ミクが直接会っているはずだから、聞いてみたら?」
聞いてもいないのにカイトはそんな話をした。どうも、彼も例外ではなく、浮ついているらしい。明日の警備増員のせいか、博士と同じくアーランド博士のせいなのか、それとも別にあるのか、レンには判断が付かない。
視線だけをカイトに向けると、ちょうどリビングを出ようとするところだった。留めるためのセリフも思いつかないレンは、黙ってそれを見送った。
次:報酬
レンはこの後も彼女の事を、正確には彼女たちの事を忘れられず、上の空で仕事をこなした。今のところ、周りはみな疲れているのかと思い、仕事のパフォーマンスについては追求も危惧もしていない。寂しいなとレンは思うが、勝手な八つ当たりの類である。
ルカはレンの様子をじっと見ていたが、やがて夕食の香りが近づいてくると、彼女もそちらに意識を向けていった。そうしてレンは一人で増員される警備についてと、あのアンドロイドについて考えている。
記憶の中のあのアンドロイドは、空虚な目をしていた。少なくとも、あの瞳から何の感情もうかがう事はできなかった。かわいそうだと思うのはレンの勝手で、彼女がどう思っていたかなんて知る事はできない。しかし、悲鳴を上げて、自らの身を庇っていたのは確かである。喜んではいないはずだ。
研究所の人間は、アンドロイドに対して優しい。そのため、レンは意思と痛みを強制される理不尽を感じた事が殆どない。多少不自由でも自由にさせて‘もらえる’生活しか知らないのだ。そんな彼が、強いられる苦痛はどんなものなんだろうと想像してみると、きっと信じられないほどの、絶するほどのものなんだろうとぼんやり思っても、それさえ的を射る感性だとは言い切れない。結局、レンは想像するしかないし、理解できないのだ。
人間に襲われたルカはそれが少しわかるかも知れないが、聞くほど無神経ではない。そして、彼女には心安らかであって欲しいとレンは思っている。そして、もう一人、この研究所でわかりそうな者に思い当たった。即座に首を振った。
(駄目だ。聞いたら悪い方に行ってしまう気がする。また叩く羽目になるのはごめんだ。叩いた方だって痛いのに、あいつはそんな事考えない。オレの苛立ちだって、正確に理解してはくれないんだ。それに、今度は叩けないかもしれない。同じボーカロイド相手でも、叩いていいと思考できる状態なんて早々あるものじゃない。あっていいものでもない)
「レン、レン!」
突然耳に入ってきた声に顔を上げた。じっとメイコが覗き込んできている。レンは少し恥ずかしくなって、それを隠すように慌てて返事をした。
「な、何?」
「何って……そろそろご飯だから配るの手伝ってって言ってたのに、まったく返事しないんだもの。どこか悪い?」
どうやらかなりの時間、記憶の中で過ごしていたようだ。すっかりみんな食事の準備に取り掛かっていた。
「レン君、少し手伝ってー」
ミクが呼んでいる。レンは断る理由もない。そして、今まで無視していた埋め合わせを行うのは当然だろう。
彼はメイコに小さく会釈して、ミクの方へと寄って行く。ミクとリンは用意された皿をテーブルへ移動させている途中だった。ルカが飲み物を作っているが、もう手は必要ないように見えた。そのため、レンを呼んだミクの手伝いをする事にした。
すぐに夕餉の仕度が整い、全員が卓につく。レンの前にはおいしそうな料理が並んでいた。それを目の前にしても、気分が上ったりはしなかった。
いただきますと合唱し、めいめいが箸を動かし始めると、レンもそれに習う。しかし、いつもより鈍いものだった。メイコがすぐにレンへ問いかけたのは、彼女がいつも兄弟を気にかけている事の証左である。
「レン、本当に大丈夫?体調が悪いんじゃないかしら?」
「なんでもないよ」
そう言った後になんだよと小さく呟いた。心配が束縛に思えるのは、完全に受け手の問題である。不満が滲み出る態度を、隣りに座るカイトが横目で見ていた。彼が注視していながらも、話し掛けなかった理由は本人にしかわからないが、レンはそれを問わなかった。見ていた事に気が付いていなかったからだ。
微妙な雰囲気のまま食事は進んでいた。皿の上のものがほとんどなくなった頃、ルカが口を開いた。
「博士、明日から警備を増やすと聞きましたが、本当ですか?」
ルカが本当かと聞いたのは、気配がなかったからだ。普通、下見や目通しくらいはするだろうと彼女は考えたのだ。前日まで、増員される警備員の気配すらない。心配になるもの無理はないだろう。
博士はルカの方を見ると、うんと頷いた。
「本当だよ。外に出る時用の、個人警備員ね。業務時間は朝から晩までだから、今まで通り夜は外出できない。けど、彼と一緒なら外出は自由になる」
「博士」
「なあにー、レン」
「それ、自由って言わないんじゃないか?今までだって、研究所の警備の人と一緒なら外出できた。変わらないように聞こえるけど」
「あの人たちは、本来、研究所の警備だけが仕事なんだよ。今までみんなの外出について来てくれたのは、彼らの好意だ。だからそれはイレギュラーと考えるべきだと思うねぇ」
「でも、実態はそうだったじゃん」
「うーん、まあそうだね。でも、レンがちょっと散歩に出たいなって時に、警備の人に頼んだりできた?気後れしてできなかっただろう?実態に合わせて、ちゃんとしたものを用意するのは、悪い事じゃないと思うんだけどなぁ。ね?」
確認するように頭を傾けてた博士は、何か浮かれていると言おうか、落ち着かないようにレンには感じられた。口数がやたら多い。どうしてだろうと考えるが、特に理由も思い浮かばない。多分、自分の知らないところで、何かが起こったんだろう、レンはそう結論付けた。
「明日の朝から、とりあえずミクの仕事についてく予定だからよろしく。あ、僕も一緒に行くよ。それで、メイコとレンとルカは新井さんが送り迎えを担当するけど、お仕事中はいないから、なるべく人の多いところにいるようにしてねぇ。リンにはカイトがくっついてくから、カイト」
「はい」
「よろしく~」
カイトに対してはそれだけだった。カイトもただ頷いただけで、特に質問もしない。事前に聞いている事がうかがえた。
「て事で、明日引き合わせるから、この話は今日はここまで。食べよう、食べよう」
無理矢理に話しを終わらせて、博士は食事に戻った。レンはもう少し聞きたかったが、無駄そうな雰囲気で、気を落としながら諦めた。この話を続けたかったのは何もレンだけではない。実のところ、ルカも、ミクも、リンも、メイコも、先の事を聞きたかった。
彼らボーカロイドを無視した博士が、食事を終えて立ち上がったのはすぐ後だった。博士が部屋から出て行くと、誰からともなくため息が広がった。
口数は少ないまま、食べ終わった者から自室に戻っていく。最後まで残ったのはレンとカイトだ。カイトは食事の後片付けのためであり、レンはカイトに聞きたい事があった。
「明日来るやつの事、知ってるのか?」
つけてもいないテレビの画面を睨むレンは、自らが座るイスの上に片足を上げた。話しかけた相手は調理場の奥であり、こちらからは見えにくく、またレンも見る気はなかった。水流の音の中、返事が聞こえてきた。
「知らないよ。でも、悪い人は来ないはずだ。どうもレンは感傷的になってるように見える。それが今日は周りに感染してしまったようにも」
「オレのせいかよ」
「いや。みんな、少しずつ雰囲気に流されやすくなってた。どうしてだろうね、そわそわしているようだ。博士がそうな理由はわかるんだけど」
確かに、いつもならリンはもっとうるさく喋っただろうし、ミクもニコニコとして笑顔を絶やさず、明るい話を富にするだろう。ルカもメイコも何かおかしかった。少なくとも、今日の食卓を思い出したレンはそう感じた。そして、何より博士が変にお喋りで、落ち着かない様子だった。
「なんかあったのか?」
「博士は博士で面倒に巻き込まれたんだよ。まったく、I社がアーランド博士なんて呼んで来るから……愚痴ってもしょうがないんだけど」
見えはしないが、多分カイトは肩を竦めて、現実を放るように息を吐いただろう。レンはそう予測し、その予測は完全に当たっていた。
「あーらんどはかせ?」
水の音が止んだ。キッチンの影から出てきたカイトは、レンの隣りのイスに座った。こちらは窓の外を見ている。
「精神回路の、特に精神のパターンに関する研究者だけど、レンたちに直接関わりのある人じゃない。気にしなくていい」
「気になる」
ちらりとレンを見たカイトが、少々の沈黙の後に、立ち上がった。
「アーランド博士の著作と関連書籍ならいくらか持ってる。読む気なら渡すよ。ちょっと読みにくいけど、中々面白いかもしれない。僕は、あまり、好きじゃないけれど」
素直に嫌悪を表す事は珍しい。思わず、レンの片眉が上がった。
「そうそう、ミクが直接会っているはずだから、聞いてみたら?」
聞いてもいないのにカイトはそんな話をした。どうも、彼も例外ではなく、浮ついているらしい。明日の警備増員のせいか、博士と同じくアーランド博士のせいなのか、それとも別にあるのか、レンには判断が付かない。
視線だけをカイトに向けると、ちょうどリビングを出ようとするところだった。留めるためのセリフも思いつかないレンは、黙ってそれを見送った。
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