ほわいとあるばむ?
夕食の前、仕事から戻ってきた面々を、食事を準備していたカイトは笑顔で迎えた。
「お帰りなさい。どうだった?」
「ただいまカイトにぃ。バッチリだったよ」
「そう、よかった」
一番はじめにリビングに入ってきたリンは、カイトにブイサインをする。そして、まわりを見回してから聞いた。
「ルーちゃんは?」
「歌の練習してる。そろそろ来ると思うけど」
「るーちゃん?」
リンにミクが聞く。
「ルカちゃん、そう呼ぶ事にしたの。かわいいでしょ」
よほど気に入っているのか、リンは愛称をさっさと決めてしまったらしい。
ミクは昨日の事があるだけに素直に見れないでいる。ふうんと相槌をうっていると、レンとメイコ、それに博士が部屋の中に入ってくる。
食事が並ぶであろう席につくと、今日の調子をそれぞれ喋り始めた。
「博士、例の番組ですけど」
「それなら昨日僕のほうに直接打診があったから、台本を精査してみるよ」
「あ、ねぇねぇ、今日会ったプロデューサーさんがね……」
「オレの方にはそう言う話は来なかったけど」
「私の方には来たよー。レンくんにも声掛けるって言ってた気がする」
「みんなで出来るといいわね」
めいめい喋っていると、がちゃりとドアが鳴った。
「……どうも」
ルカだ。
「お疲れ様、そろそろ夕飯よ」
「はい。その為に来ました」
無表情のまま、ルカは言う。
そして、部屋の中を見回し、ちょうど用意もひと段落してテーブルの方に近寄ってきたカイトと目が合った。
カイトはルカの視線に気が付いてへらっと笑った。しまりがない。
ボーカロイドであったと言う。でも今はボーカロイドの仕事をしていない。ボーカロイドがすべき事をしていない。それなのに、こんな顔でへらへらと……。
少し眉を寄せる。ルカはその笑顔が嫌だったのだろう。
「……あなたは家事手伝い用のアンドロイドなんですか」
小さな声で言った。
「僕の仕事は今の所これだし、そうかもね」
カイトは否定するでもなく答える。
その反応がよりルカの神経を逆撫でさせた。
「ここは、ボーカロイドを研究する施設です」
「うん」
その通りだと頷いた。カイトは笑顔だ。
ルカはくっきりとわかるほど眉間に皺を寄せて言う。淡々としてではなく、怒りを持った口調だった。
「……ボーカロイドでいる気がないのなら、ここから立ち去るべきです。ここはあなたが、壊れたボーカロイドがいるべき所ではない」
静まり返っている。視線はルカに集まっている。特にミクは、大きな目を限界まで開いてルカを見ている。
「カイトさん、あなたは不要な存在です」
無意識だった。ミクはつかつかと靴音を立ててルカの前に立ち、無造作に右手を振り上げる。
風が吹き、バチンと音がした。
「……なっ」
何をされたのか、ルカははじめわからなかった。数秒して、左の頬がジンジンと痛み出す。
周りはの面々はかたまっていた。
ミクが手を上げたことなど初めてである。
そもそも、アンドロイドが他のアンドロイドを攻撃する事は、特殊なものでもない限りそう出来るものではない。主人の命令がある時か、自己防衛のためか、コントロール出来ないほどの感情を持った時くらいなもので、今回の行動はひどく珍しい事だったのだ。あまりにも突拍子のない事だったため、博士でさえ動けないでいた。
ミクは怒りに支配されていた。人間で言えば頭に血が昇った状態である。叩いた衝撃で痛む右手を無視して、ミクは叫んだ。
「聞いてれば、ひどい事ばっかり言って!」
「ちょっと、ミク、落ち着きなさい」
「これ以上カイトさ、カイト兄さんを侮辱したら許さないんだから!」
憤慨しているミクの対面で、ルカは打たれた左頬を押さえている。
ルカは動揺し、恐怖していた。
なぜ頬を打たれなければならないのか。間違っていない。ボーカロイドとして活かされないなら意味がないはずだ。間違った事は言っていない。どうして。なぜ。なぜ。間違っていないのに、理不尽だ、理不尽だ。
ルカは、ミクを睨み付ける。
自分が間違っていないと疑っていないからこそ、ミクを真正面から睨んだ。頭が痛むほど熱を持っている。息を吸った。間違っていない、間違ってなんかいない!
「わたくしは……わたくしは、間違った事を言ったつもりはありません!壊れたものに価値はないのです!」
「……っ!」
ルカの目に、ミクがもう一度手を振り上げる姿が映った。平手が頂点から斜め下に、ルカの頬目掛けて振り下ろされる。やたら時間が遅く感じられる。空を切って飛んでくるミクの手のひらが近づいてくる。
駄目だ、身体は動かない。このままではまた打たれる!……そう思い、ルカは反射的に目をつぶる。
手のひらが鳴らす音はせず、時間が止まったような感覚がして、ルカは目を開けた。
「あ……」
ミクの手は、途中で止まっていた。腕をがっしりと掴む手、その持ち主は。
「何やってるんだよ!」
その持ち主は、レンだった。
「喧嘩したら駄目だって、いつもミク姉が言ってた事だろ!」
「で、でも」
レンの方を見てミクが何か言おうと口を開くが、続きは出てこない。でも、でも、と、ただ繰り返している。リンが今にも泣きそうな顔で、ケンカはダメだと言いながら、ミクの服を引っ張り、メイコがミクの肩を叩いて落ち着きなさいと言った。
ルカは強烈な堪らなさを感じた。
こんな光景を見せられて、自分はひとりで、動揺しないわけがない。まるで、悪者ではないか。間違っていないのに。
足が扉のほうに向くと、ダッと駆け出した。しまっていた扉を勢いよく開けて、その勢いのまま廊下を掛ける。
「ルカ!」
「駄目だ!」
メイコが追いかけようとした時、それまで黙っていた博士が大きな声を出した。
そしてメイコの足が止まる。その横をカイトが黙ってすり抜けていった。
「あ、カイトっ待ちなさい」
「メイコ、任せておきなさい」
「でもルカはカイトを」
「いいから、任せなさい」
厳しい顔つきで博士はそう言う。
見えなくなったカイトの背中を、ミクは涙を溜めた目でいつまでも追いかけていた。
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