今日は他のボーカロイドは仕事で、研究所の所員とカイトとルカしかいない。
(早く仕事をさせて欲しい)
それがルカの今一番の望みである。ルカはボーカロイドとしての自負があった。だからボーカロイドとして早く活動したいのである。
博士と少し生活について話した後、ルカは練習室に来た。せめて歌う練習をしたいと思ったからだ。
練習室の明かりをつける。音のない空間に馴染んでいた空気は突然の来訪者を追い出すようにシンと静まりかえっている。
無言で中に入る。ルカの足音だけが響いて不気味だ。中にあった機材の電源は落ちたまま。長袖のカーディガンを着ていても少し肌寒くて、ルカは両腕をさすった。
ルカはとりあえず近くのイスに座り、横にあったテーブルに持ってきていた楽譜と音楽の入ったデータディスクを置く。
得意な音域にあわせた歌だと言われていた通り、自分にあった歌だと譜面を見ながら思った。
この曲はルカのスペックにあわせて作られ、起動する以前に完成されていたものだ。歌詞もルカにあわせて英語をふんだんに取り入れ、雰囲気もルカの持つ静けさを前面に押し出している曲だった。
そんな曲の譜面を見ても、ルカの心は静かである。
自分に課せられた使命は歌う事だ。どんな歌でも変わりない。他人のための歌でも自分のための歌でも私は歌うだけ、それだけだとルカは思った。
「わたくしは、歌うために作られたアンドロイド。……ボーカロイド」
そう言って立ち上がり、歌うための声を出した。
まずはラ。そこから音を上げて行き、二オクターブ上げたところで下げていく。流れるようにではなく、確認するように一音一音しっかりと音を出す。下の音、明瞭な音が出なくなるまで下げ続ける。
まるで自分の声ではないかのような音が出た瞬間、ルカは声を出すのを止めた。
そして一呼吸し、またはじめから。
それを二回繰り返したとき、扉が開く気配がした。
振り向くと、そこには青い髪を持つアンドロイドが立っている。カイト、と言ったか。先輩であるミクによればボーカロイドとして作られたらしいが、今は歌を歌わないと言う。それではただのアンドロイドだし、失敗作ではないか。
研究所にはボーカロイドばかりがいると言われていたルカにしてみれば、カイトがここにいる意味がわからない。
壊れたら捨てるものだと開発にいた時に言われていた。そうだ、壊れたら捨てる、使えないものに用はない。そのはずだ。
ルカの内心を知ってか知らずか、カイトは重力に従って垂れている青いマフラーを後ろにやりながら言った。
「暖房つけた方がいいよ。アンドロイドは風邪を引いたりしないけど、ずっと寒い所にいると声の出方は悪くなるから」
そう言ってドア横の壁にあったスイッチを入れる。ルカはそこに暖房のスイッチがあることに気が付いていなかった。どうもと言って軽く首を縦に振った。
カイトは半開きにしていた扉を閉めると、そのまま部屋に入ってきて、沈黙していた機材のスイッチを入れる。起動音と共にところどころにあったランプが付いて、動力が入った事を示していた。
「たしか……ここかな。ここにそのディスク入れてここを押すと音出るから、使うといいよ。こっちが停止ボタンね。それから向こうのブースに行くときは鍵が必要だよ。鍵はそこの鍵入れの左から二番目。鍵入れのパスワードはゼロ四つ。あと」
「邪魔をしないで下さい」
ルカは言った。無表情のまま、少しだけ迷惑そうな口調で。
「……わかった」
カイトはすぐ引き下がり、部屋の出入り口付近に行くと、壁に寄りかかる。
出て行きそうにもない。ボーカロイドでもないはずのアンドロイドが出て行きそうにもない。ここは歌を練習する所だ。歌う者のための場所なのだ。ルカはカチンときた。
「邪魔しないで下さいと言いました」
ルカはもう一度言う。キツイ言い方だ。
「邪魔してないよ」
微笑んでいるカイトに、ルカは尚更腹を立てた。
「ボーカロイドでもないのに、なぜ練習室にいるのですか?はっきり言って、そこにいられる事が既に邪魔になっています」
カイトは、少し困った顔をした後、すぐに笑顔を作り、わかったよと言い扉を開ける。
「何かあったら言ってね。多分研究所の中を掃除してると思うから」
出る際に言って、扉を閉める。バタンと言う音と共に静寂が降りた。
ルカは一度勢いよく息を吐いて、すぐさまデータディスクを手に取り、カイトに示された場所に入れる。
再生ボタンを押すと、彼の言うとおり、音楽が流れ出した。
次:間違っていないと彼女は叫んだ