代理だと言って二人の博士が研究所にやってが、今のところ問題は出ていない。それはいい事の筈だとオレも思う。
研究所の総責任者である所長と博士は本社へ、そして何故かカイトは開発部へ行ったらしい。事情は全く知らされず、不在だと言われたきりだ。研究所にずっといたリンとルカでさえ、何も知らないと言っている。
嫌な気分だ。その状態でとりあえず三日もたってしまった事が、なにより腹が立つ。
もうすぐ長期の休みが取れる、だから、長期休み中に旅行に行こうと計画していたのは博士だったのに、当の博士がいないまま、もうすぐその休みの期間に入ってしまう。
そうなったらどうなるのだろう。中止?中止だと言えばリンが悲しむ。それに、オレだって、別に楽しみにしてなかったわけじゃない。
ため息が出た。嫌な気分だ。
復帰早々終わらせた仕事の後に、経過が見たいと言われ、メンテナンス室でデータを取る事になった。
部屋に入ると、田中博士がモニターを睨んでいる。カイトが高所から落ちてメンテナンスに行った時とその後、それからその更に前に開発部で一度会った位しか会ったことがないので、どう切り出そうかと考えてる。オレに気がついたらしく、田中博士は慌てて資料をまとめ始めた。
「しかし、まさかまたここに来る事になるなんてね。とても久しぶりな気がする。去年初めて来たんだけれど」
「カイトを連れて来た時か?」
ミク姉が前に、田中博士がカイトを連れて来たと言っていたのを思い出しながら言うと、博士は微笑んで首を縦に振った。
「そうなのよ。他の施設に行く事が私はあまりなかったの。ここは設備もいいし、住み良いしいいわね。そういえば、私と初めて会った時の事覚えているかしら?」
「ああ。そういえば初めに開発部で会った時、口論していた人物は鈴木博士だったな」
「あ、それも覚えてるのね。どうも喧嘩しちゃってね。悪いやつじゃないんだけど、少し硬いし、それに担当してた子が逃げちゃって突き上げくらったから、ボーカロイドにとっても厳しいのよ。ルカにもね」
三日間でわかった事が、鈴木博士はルカに物凄く厳しいという事だ。さらに言うと、オレたちにも厳しい。昨日もルカを庇ったミク姉が、鈴木博士に容赦なく怒鳴られていた。ミク姉が反抗しそうで、一触即発という感じで本当にひやひやした。
「昔からああいう人?」
「いいえ、昔はもっと自分の研究優先だった。ボーカロイドの事もどうでもよさそうな感じで、あんな熱心じゃなくて、放任だったわね」
だから駄目だったのかもねと言った。
「悪いやつじゃあないのよ。ただ、担当があいつだったルカには同情しちゃうわね」
そう言ってから田中博士はニコリと笑う。ちょうど準備ができたようだった。
そろそろ寝る時間だが、ベッドに入る気になれず、オレはイスに座って空中をぼうっと見つめていた。回転するイスをぐるぐると回す。特に意味はない。
何を考えるでもなくそうしていると、ルカやミク姉と喋っていたはずのリンが部屋に入ってきた。リンとは同室を使っていて、部屋の両隅にそれぞれのベッドと机を置いている。たまに布団を取られたり場所を取られたりするので、部屋を分けたいと博士に言ってみたが、一向に叶う気配はなかった。
「……それ、返さないの?」
リンに聞かれ、何がと返事をすると、リンは不機嫌そうに頬を膨らませた。
「それ」
指差した先、自分の机の上には、手に入れた覚えのないものがあった。
「?」
首を捻る。あれは確か、最近人気な携帯用の音楽プレイヤーだ。
「リン、いつの間に買ったんだよ」
「からかってるの?レーコちゃんのだってレンが言ったんだよ」
言ったか?言った気もするが、言ってない気もする。
「レンたちが倒れた日の夕方に言ってたじゃん」
その日の事を思い出そうとしたが、ぼやけてよくわからない。朝から仕事をして、夕方に上がったまでは覚えているが、そこから先が断片的にしか思い出せない。
どんどんその日の事を思い出せないようになっている気がする。前はもっときっちりと覚えていたのに、倒れた時の事も、その前何をしていたかも、何を思っていたかも、数日の間に忘れていっているような気がしていた。
「なんか、思い出せない」
「……もう一度博士に見てもらった方がいいんじゃない?あ、田中博士ね」
「なんともないって言っていたけど」
「レンがちゃんと状態を報告してないからだよ。素直に話さないと駄目だっていつも言ってるでしょ」
まったくもうとリンは憤慨して、すぐに心配そうな表情になった。結構心配性だ。
「明日話してみる」
「うん、異常あったらすぐ言いなよ。それと、明日、レーコちゃんと仕事かぶるから、その時に返しとこうか?」
「……いや、自分で返したい。いつ終わる?」
「ちょっと夜になるかな」
リンが棚から出してきたスケジュールを見ると、かなり遅くまでやるらしい。
ボーカロイドは社の方針で、あまり遅くまで仕事をしないようになっているので、遅いとは言っても次の日に回ったり、移動手段がなくなったりはしない。結構批判を受けているとは噂で聞いているけど、博士たちがその方針を変える気は今のところないようだった。
明日のオレの仕事も、似たような時間に終わる事を思い出して、リンに言う。
「仕事する場所も別のところだけど近いし、オレの方が終わったらそっち行くよ」
「じゃあもしもレンが来る前に終わったら、ちょっと待っててくれるように頼んでみるね」
そう言ったリンは大きなあくびをした。眠そうに目をこすり、おやすみと言ってすぐに寝る体制に入ってしまう。
オレもおやすみと返事をして、すぐにベッドに入った。
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