ぼやっとしている間にいつの間にか昼近くになってしまった。寝起きはいつもぼんやりして頭の回転が悪いけれど、それが長時間続くのは珍しい。前日興奮して中々眠れなかったのが原因だから自分のせいなんだけど。
今日はわたしの双子レンと、姉であるメイコ姉、ミク姉、それから妹であるルーちゃんが帰ってくる。ルーちゃんは、わたしより見た目の年齢設定は高いから、妹扱いはちょっと変かも。でも、ボーカロイドとしては妹だ。
帰ってくるという話は、一昨日帰ってきた所長が教えてくれた。所長、来れなかったうちに見てわかるほどやつれてしまってかわいそう。所長と同時に帰ってきたカイにぃは変わらず元気そうで、昨日はわたしの仕事についてきてくれた。あまりなかった事なので純粋にすごく嬉しい。これからカイにぃがわたしたちの仕事に付き添う事が増えるらしくて、わたしはすごく楽しみなんだけど、レンやルーちゃんと喧嘩にならないか心配。レンとルーちゃんのふたりは、カイにぃとあんまり仲良くしてくれない。二人とも仕事は好きみたいだから、無駄に険悪なムードにする事はない、と、信じたいんだけど。特にレンのやつ、なんであんななのかなぁ、まったく。
「リン、みんなは途中で昼ご飯食べてくるみたいだ。僕らは僕らで食べて待つつもりなんだけど、何か食べたいものはあるかい」
「昨日のおかず、残ってないの?」
「煮物が残ってるけど、一人分しかないからね。新しく作るよ」
「じゃあオムライスがいいなー」
「昨夜の特集番組のオムライスはおいしそうだったね。いいよ、卵も足りてる」
構わないけど、心が思い切り読まれてる。
「僕も食べたかったしね」
これはわたしへの配慮だ。それくらいはわかる。こんな風にすぐフォローして貰えるのが、ちょっと悔しい。だからいつもの練習をお休みして少し手伝う事にした。お返しだ。
食事の後皿を洗い終えると、カイにぃは少し掃除をすると言うので、わたしは散歩をする事にした。まだ来ないのかなと思って門の方へ行ってみる。警備員室には警備員さんが休憩しているのが見える。いつも大変な警備員さんに挨拶しようと、扉をノックした。
「こんにちはー」
「おお、リンちゃん」
警備の人たちはいつも妹扱いというか子供扱いしてくる。特にあの警備員さんは……あれ?おかしいな、いない。
「いないんですか?おじさんの……」
研究所が出来た時からいたあの警備員さんがいない。とても珍しい。お休みもほとんど取らない人で、いつも研究所にいる。結構暇な時とかにお話をするのだ。
「あの人はちょっと」
なぜかモゴモゴと、言い難そうにしている。何かあったんだろうか。
「おい、今は……」
「そうだった。ごめんな、守秘義務があってな」
警備室にいた二人の警備員さんは、そう言ったきり黙ってしまった。
聞いちゃいけなかった事を聞いちゃったのかな。とても空気が重たい。黙って警備員さんたちを見ていたけど、こっちを見てもくれない。これじゃあ、避けられてるみたいだ。肩を落として、わたしは警備員室を出た。
屋内に戻ろうと歩き出したところで門が開く音がした。歯車か何かが回って、鉄の門が左右に開く。車輪がレールの上を走って、ガラガラという騒音を撒き散らし、石がその音を幾度か飛ばした。
たぶん、レンたちが帰って来たんだ。振り返って走り、門まで戻ると、ちょうど二台の車が所内に入って来るところだった。先頭の車を運転しているのは山田博士、本当に今日帰って来た事で表情も綻んだ。
「博士!」
「お、リン。元気そうだね」
久しぶりに見た博士の顔は元気そうだ。
「博士、もう平気なの?」
「だよ~。リンの仕事の調子はどう」
「順ちょ、うでもないかも。なんか、一昨昨日ね」
「うん、その話は聞いてるよ。災難だったねぇ」
後部座席にいたレンが、窓から顔を出した。機嫌は良さそうじゃない。長旅をしたから、というだけならいいけど、そうじゃない事がレンは多いから困る。
「大変だったんだって?」
「そうなの!引っ張りまわされるし、研究所帰れなくなるし」
レンは、そうかと神妙な顔で呟いてから、ドアを開けて外に出てきた。そして、後ろの車を指してこう言った。
「後ろの車、見てみろよ」
指された先、後部の車中、運転席に座っていた人物を見て、わたしは驚いた。
「受付の人!」
あの日、スタジオでお話した受付の男の人が、ハンドルを握った手をパタパタを開け閉めした。手を振る代わりのようだ。
駆け寄るとウィンドウが開いてクーラーの風が漏れ出した。レンはわたしの後ろについて来ている。
はじめ気が付かなかったけど、後部座席にはあの保安局員だと言った人が座っていた。運転席と助手席の間から顔を出してこう言った。
「おぼえてるかな。特別保安局の住吉だ。あの後不自由はあったか?」
「いえ、全然!ありがとうございました!」
何事もなく不自由ない生活ができた。付いててくれた警察の人も親切で、新井さんも安心していた。その新井さんは、出勤が連続したため昨日からお休みだ。旅行好きらしく、休みを利用して旅行に行くと言っていた。
「良かった良かった。何かあったらあれが本気で殴りかかってくるだろうからな」
妙な顔で笑った住吉さんに、受付の人は呆れた様子だ。横目で睨んでいる。
「変にちゃちゃ入れるからだろ」
「お前が何とかすればいいだろう。全く、本来お前がなぁ」
「うっせーな。鏡音リンちゃん、元気?」
「う、うん……あのう、なんで」
なぜここにいるのかと聞こうとしたわたしのかわりに、住吉さんが答える。
「こいつも保安局の人間なんだ。名前は」
「藤原だ。よろしく」
前よりも真面目な顔でそう挨拶された。本当に保安局の人なんだなと思った。
博士と藤原さんたちは駐車場に車を止めてくると言うので、前方の車に乗っていたみんなと先に研究所に向かって歩く。話したいことがいっぱいあるんだ。
「へえ、そんな事が。リン、大変だったようね」
メイコ姉がわたしの話を聞いて頷いている。
話を聞いてるとは言っても、三日前の事件の概要だけだったみたいで、わたしから詳細を聞いて、他のみんなは一様に驚いたり関心したりしていた。
「それで、保安局の人に助けて貰って、その後ホテルに泊まったんだ。次の日に所長とカイにぃがホテルに来て、その日とその次の日は仕事して、それで今日の朝、研究所に戻って来たの」
「所長、元気そう?」
「ちょっとやつれてた」
「迷惑掛けてしまったから、何かお礼しないといけないわね」
確かに、色々迷惑を掛けてしまったし、心配させてしまったので、何かお礼をしないととは思っている。それは、みんな同じ考えらしい。
「博士も処分で色々あったみたいだし、私たちで何かしたいな。例えば食事会とか、季節の行事に合わせてみるとか」
ミク姉が相変わらずのかわいらしい高い声でそう言った。ルーちゃんが黙っているのを気にしたのか、メイコ姉がルーちゃんの方を見て聞く。いつもの落ち着いた声、安心する。
「ルカ、どう思う?」
「物を差し上げてもいいと思うのですが……犬などを」
「犬?」
「所長の家族が飼っていたと、その、前にカイトさんが」
「生き物はちょっとどうかしら。でもまあ、所長は犬関係で何か考えましょうか」
「普通に裁縫関係の道具でいいんじゃねぇの?」
少し引いたところにいたレンが、頭の後ろで両手を組み、だらしない格好で歩きながら言った。裁縫道具かぁ、いいかも。
「所長、お裁縫が趣味だもんね」
「そうなのですか?」
「ルーちゃんは知らないっけ?所長はお裁縫とか好きなんだ。カイにぃに裁縫教えたのも所長だよ」
わたしがそう言うと、ルーちゃんは怪訝な顔をした。
「あの人、裁縫なんてするんですね」
ルーちゃんはそれも知らなかったっけと思い返してみると、最近カイにぃが裁縫をしていない事に気が付いた。前はマフラーや人形をよく作っていたのに、いつからだろう、カイにぃはさっぱり物を作らなくなっている。前に何を作っていたのかも思い出せない。年末に戻って来て以来、全く見ていないような気がする。
「最近縫いものしてないね、カイにぃ」
「コソコソと忙しそうだしな」
いらついた態度でレンが言った。
「そんな言い方ないでしょ」
「本当の事だろ。ずうっとコソコソしてて、何してるかも教えてくんねーし。リン、あいつが帰ってきたの、一昨日だろ?」
「そうだけど……」
「やっぱり嘘ばっかじゃないか」
レンったら、一体何に怒ってるんだか。そう思っていたら、メイ姉がきっちりレンを注意した。
「レン、喋る時は少し考えてから喋りなさい。いい言葉遣いじゃなかったわよ」
「わかってるよ」
「わかってるなら実行しなさい」
メイ姉はため息をついた。むっとした表情のまま、レンはやる気なく返事を返す。
反抗的な態度がむかついたので、レンに近づくように歩調を遅め、横に来た瞬間にレンの後ろ頭をはたく。バチンと、ものすごくいい音が響いた。睨んでも謝ってなんかやらないんだから。
リビングにあるテーブルの片側にわたしたちが、もう片側に住吉さんと藤原さんが座る。
「えー、まず、巡音ルカさんと鏡音リンさん」
「あ、はい」
「なんでしょうか」
「……大変申し訳ない!」
藤原さんはそう言うと、膝の間まで頭を下げた。住吉さんも似たような姿勢をしている。
「はえ?」
突然そんな事されても、その、すっごい困る。周りのみんなも困惑した顔で固まってる。だって二人はわたしたちの事守ってくれたのに、なんのお話?
「どういう意味でしょう」
ルーちゃんは冷静にそう言った、けど、ちょっと引いてる感じだ。珍しいから、ちょっと面白いなと思ってしまった。
「特に巡音さんは、警護していたにも関わらず大変危ない状況になってしまい、謝罪してもし足りない。申し訳なかった。全く、こちらの不手際です」
「は、はぁ」
間延びした返事をしても藤原さんたちは顔を上げなかった。博士が、そんな二人に声を掛ける。
「まあまあ、とにかく全員無事だったので良しとして、頭を上げて下さい。ルカもリンも困ってしまうのでぇ」
やっと藤原さんも住吉さんも普通の座った状態に戻った。住吉さんが、真剣な表情で言う。
「そう言っていただけると助かります。ただ、今回は何事もありませんでしたが、また似たような事が起こるかもしれませんので、出来れば警備の増員などを視野に入れていただきたい」
「警備の増員をやろうとはしているんですが、問題が山積みで。人選が面倒でしてぇ」
「素性の確認は面倒ですな、本当に」
「ですです」
住吉さんと博士はうんうんと頷き合っている。周りのみんなはよくわからないという顔をしつつも、話がまとまった事を感じ取ったようだった。もちろんわたしも。
「鏡音リンちゃん」
博士たちをポカンと見ていたわたしに、藤原さんが小さく呼びかけてきた。
「なぁに?」
間の抜けた声で返すと、藤原さんは弱った笑みを浮かべた。
「あの日は本当にすまなかった。今日は君を引き連れたやつも連れて来るつもりだったんだが、頑固なやつで、ガンとして首を縦に振らない。少しは素直になったかと思ってたんだが」
「あの人、大丈夫だったんですか」
「おう、まあな。ちょっとばかし負傷したが、頑丈だからな。むしろリンちゃんの事を心配してたぜ」
「あの人って誰だ?」
レンが口を出してくる。なんだか今日は、いつもより頻繁に首を突っ込んで来てるような気がする。
「なんでレンがそんな事気にするのよ」
「いいだろ別に。で、あの人ってのは」
「わたしを連れて逃げてくれた人。帽子被ってて、顔と声がすごくカイにぃに似てるの。びっくりしちゃった」
「カイトにだって?……そいつの髪の色は?」
「茶色だったよ。目の色も。空似だと思うな。オリジナルになってる人なのかと思ったけど、そんな話はないよね」
「聞いた事ねーけど。他人の空似、ね。ふぅん……本当に人間だった?」
「だったよ!」
わたしがそう言うと、レンは神妙な顔をして何か考え込む始めた。どうせヘタな考えだろう。わたしはレンを無視して藤原さんを見た。
「仕事でやってたって事は、ライブに来るって話は嘘?」
「いや、それは本当。ちゃんと行くつもりだぜ」
「それだったら、住所教えて貰えませんか。チケット、お礼に送りたいです」
我ながら気の利いた提案だと思う。
藤原さんは、ちょっとだけ妙に表情を崩した後、すぐに笑顔を作ってこう言った。
「断るのも悪いし、ありがたく受けておこうかな。これ、名刺」
渡された名刺には、ちゃんと特別保安局と書いてあった。本当に、本当に公務員なんだぁ。
「ずるいなぁ、藤原は。リンちゃん、俺の分はないのかい」
博士と話していたはずの住吉さんがそう言った。
元々その気だったので、気持ちよく返事した。当然だ。
「もちろん、住吉さんの分と、あの人の分もちゃんと用意するよ!ただ、四枚くらいしか用意できないだろうけど」
「それは嬉しい、四枚で足りるよ。しかし、あいつを来させる事が出来るのかね」
住吉さんは藤原さんに聞いた。対して藤原さんは、まったく苦々しいとでも言いたそうにしている。
「説得はしてみるけどよ……俺の言う事なんて少しも聞きゃぁしねぇからな、あいつは」
「いや、そうでもないぞ。お前に対してはかなり素直だ」
「そうかぁ?」
全然だよと藤原さんはぼやいて頭を掻いている。住吉さんは自信ありげに頷いている。
「しかし、あれ来るかどうかは微妙だな」
そんなに来ないのかなぁ、あの人にもお礼したいんだけど。そんな事を思っていると、思わぬ方向から声がした。
「来ないと思うぜ」
レンが憮然とした顔をこっちに向けていた。
「なんでレンが言い切るのよ。知らない人でしょ」
「……とにかく、こねえよ」
自信ある言い方だ。少しむかついて、わたしは抗議のために声を荒げようとし、メイコ姉に水を差された。
「私も彼は来ないと思うわ」
すっぱりした物言いだった。
「メイコ姉もレンも、あの人の事知ってるの?」
「ええ、まあね」
「まぁな」
曖昧な受け答えだ。レンとメイコ姉は顔を見合わせ、互いにため息をつく。わかっている風な態度だった。置いてけぼりにされたわたしとミク姉とルーちゃんは、頭をはてなマークを浮かべたまま二人を見ていたが、それも扉が開く音で中断された。カイにぃがリビングに入って来たのだ。掃除は終わったんだろう。
「カイトー、こちら、保安局の方」
「ええ、うかがっています。お飲み物をお出しますか」
普段通りの柔らかい物腰でカイにぃは聞いた。
「そろそろ出るんでお構いなく。住吉、例の現場、一度行くけどついて来るか」
「行く以外の選択肢がないな。意味のない選択の提示は止めろと言っているだろう」
「はいはいすんません。て事でそろそろ行きますんで、渡した菓子は生ものなので早めにどうぞ」
「おお、忘れてましたぁ。カイトー、よぉろしく」
うなずいてキッチンへと消えていく。藤原さんと住吉さんは、カイにぃの後姿を追っていた。やっぱり似てる人が知り合いだから見ちゃうのかな。
「似てるな」
住吉さんは呟いて、意味深な表情で藤原さんを見た。藤原さんはむっとしている。変な反応だ。うるさいなと返事をして、それでもカウンターの向こうを見ていた。包装を解く音がする。中身を冷蔵庫に移しているんだろう。
「……出るか」
低い声だった。聞いた住吉さんは嘆息して、すぐに笑顔を博士に向ける。
「では我々はもう行きますので」
立ち上がった藤原さんに、住吉さんはもう一度息を吐いて、歪んだ笑顔を左右に振った。
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