『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』文章保管用ブログ。
Posted by ささら - 2009.10.08,Thu
封筒が欲しいと彼女は言った1の続き。
ルカが探した後である、二人になったところで見つからないのも無理はない。
「他にあるとすれば、博士の部屋とか?」
リンは腕を組んで考えている。確か博士は今、研究室にいるはずだ。しかも、先程覗いた時には眠っていた。また徹夜をしていたのだろう。
「あんまり、今は、入れないかな。さっき寝てたし」
すると、ルカは妙にほっとした顔をした。
「もしかしたら、他の部屋にあるかもしれません」
「ミク姉は持ってないって言ってたし、レンも持ってないだろうし、あとはメイコ姉とカイにぃだけど、メイコ姉は仕事でいないし、カイにぃはお掃除忙しそうだったし」
「他の、倉庫などにはありませんでしょうか」
「どうだろう」
悩んでいても仕方ない、とりあえず行ってみようとリンが言うと、ルカはすぐに頷いた。
そしてやっと廊下に出ようとすると、ばたばたと走りくる音がした。無遠慮に戸が開け放たれ、壁とドア止めが接触する音がする。ガツンという大きな音だ。
「あ、カイにぃ」
リンは嬉しそうな顔だ。あのね、と声をかけようとすると、カイトは珍しく切羽詰った様子でこう言った。
「ごめん、ちょっと忙しくて。これくらいの書類見なかった?」
「しょるい?さっきそこに」
コーヒーテーブルの上を指差す。カイトがテーブル上にある紙の束を視認すると、廊下へ声を張り上げた。
「博士、ありました!持って行きます」
テーブルに大股で近づいて回収すると、リンとルカに苦い顔を向けて言う。
「ちょっと博士と出掛けて来る。新井さん、今日お休みだから、お昼は出前を頼んでいいよ。警備の人には言っておくから」
遠くから博士の声が聞こえる。カイトはそれに返事をして、リンたちに軽く頭を下げた。
「ごめん、もう行く。夕方には所長が帰って来るから、晩御飯は所長の指示に従って。それじゃあ」
本当に急いでいるらしく、普段見られない粗雑さで扉が閉められた。
音が大きかったのもあるが、あっと言う間の出来事に、ルカとリンはぽかんと口を開けている。
「珍しい、ですね」
「う、うん」
彼女たちは閉まりきった明るい茶色の扉を見ていたが、やがてリンが口を開いた。
「……行こっか。なんか博士の部屋、空いたみたいだし。中、探してみようよ」
「無断で入るのはどうかと思うのですが」
とはいえ、いいタイミングである。博士の部屋に忍び込むのは、最終手段としてルカも考えていた事だ。
「鍵掛かってたらダメだったって事で、別に考えよ。忍び込んだって、怒られるだけだよ。前にブーブークッション仕掛けに行った時、そうだったから、大丈夫!」
無茶苦茶言う先輩だと考えながら、ルカは曖昧な笑みを作った。
「どうして突然、手紙を出す気になったのですか」
博士の研究室への道すがらルカが聞くと、横を行くリンは腕を組んで唸りだした。かつかつと廊下に響いていた二人分の靴音が止まる。先に止めたのはリンだ。
ひとしきり考え込んだ後、迷いを払拭していない顔で口を開いた。
「今まであんまり考えた事なかったけど、博士とかカイにぃとかの話を聞いて、守られてるんだって、ちょっとはわかったから、だと思う。たぶん」
特に、と、リンは続けた。
「博士たちがさ、隠してやってたのは、ちょっとむかついたよ。だけど、大変だった人たちに、感謝を忘れたらダメだから。わたしは会社の人の事、嫌いになりたくないな。ルーちゃんは?」
ルカはリンの目を見る。純な心がそのまま表れたような琥珀色の瞳。綺麗だった。
「……ええ。開発者や、管理をしてくださっている方を、嫌うなんてありえませんわ」
「でもさ、ルーちゃん、カイトにぃの事さ」
「嫌いというではありませんので。苦手なだけです」
ぴしゃりと言い切って黙り込んだ。リンは困った顔でルカを見ていたが、やがて窓の外を見やる。
「わたしね、鈴木博士はちょっと苦手。でも無視するだとか、そんな事はしたくない。それにルーちゃんはあの博士の事、好きでしょ?」
素直に苦手だと話してくれたリンに、ルカは安らかな気持ちになった。
「感謝していますから。……リン先輩、実は」
ルカは、リンには話しておこう、そんな気になった。心境がいつの間にか変化している。彼女が好き嫌い関係なく、手紙を送ろうとしている事を知ったからだろう。先程まで矜持の壁で押さえられていた隠し事が、するりと流れ出した。
「わたくしも、手紙を出そうと思って、先程封筒を探していたのです」
リンが驚いた顔をした。
「リビングにいた理由?」
「そうです」
返事を聞いて、リンの頬は自然と緩み、目尻が落ちた。
「誰に出そうと思ってたの」
耳を朱に染め、もじもじと女性的な仕草をしながら彼女は答える。
「鈴木博士に」
暴漢に襲われ、鈴木博士に守られた事を、ルカはまったく忘れていなかった。彼女にとって、彼は教師であり父である。その人との出来事を忘却するなどできるわけがない。
当たり前だとリンは得心し、同時に、彼女の滲み出る優しさに喜びを隠し切れずにいた。やっぱりいい子だと先輩のように、事実リンの方が先輩なのだが、思考する。リンはルカを大層気に入っていたが、更に気に入る理由が増えたのだった。
研究室の扉に鍵は掛かっていなかった。
リンは鍵が掛かっていないだろう事を確信していたので驚かない。博士はあまり出入りを制限したくないらしく、見られてはいけない資料が置いてある棚や引き出しには鍵が掛かっているのだが、部屋そのものには出掛ける時にも鍵を掛けないのである。
乱雑に紙やらファイルやらが積まれているデスクを見る。ほとんど机の表面が見えない状態で、よくこれで仕事ができるなとリンとルカは関心した。パソコンはパスワード入力画面のまま放られている。無用心なのは確かだが、忍び込んだ二人はパスワードを知らなかった。
とりあえず手分けをして探す。ガラスの扉が付いた棚には、ファイルがあるようにしか見えなかった。棚にはないだろうと、リンはファイルケースの引き出しを順に開けていく。すると、目的のものはすぐに見つかった。
「あった!」
リンの声にルカが近寄った。どれどれと背後から見やると、確かに茶色い封筒と切手がセットになって置いてある。
「便箋はあるのかな」
「これでしょう」
ルカが示したのはファイルケースの横で、本とノートが並べられているところだ。
「全部そろいましたね」
「うん」
よかったと二人で胸を撫で下ろしている。さて、何を書こう、どうやって書こうと考えていたが、リンの思考がとある地点で止まった。
「あて先とか、どうすればいいんだろう」
基本的な知識はあるが、知恵はない。そもそも、細かい知識もない。ルカは郵便についての知識を、脳内で必死に探した。
「た、たしか、封筒の表に住所と名前を書くと記憶しております」
「そうそう、それで、上の枠にゆーびんばんごーを、郵便番号を……ねえ、ルーちゃん」
「はい」
「開発部の住所って、知ってる?」
ルカは首を振った。そういえば、住所を知らない。
「あとさ、これ、鈴木博士と田中博士へって書いて、届くのかな」
彼女たちは顔を見合わせ、首を傾けた。
「……世間知らずだよね、わたしたち」
ルカは否定しない。確かに、知らない事が多い。それでも大丈夫だったのは、サポート体制が整っていたからだ。何でも博士たちに任せきりだという事を改めて思い知った。
「どうしましょう。何か、そういう事がわかるような資料があればいいのですが」
「ネットが使えればいいんだけど、今は使用禁止だもんね。カイトにぃなら、そういうのが書いてある本とか持ってるかも知れないけど。でもカイトにぃの部屋、鍵かけられちゃったしなぁ」
研究所内でアンドロイドの研究関係以外の本を一番持っているのは、意外にもカイトである。研究所に来た初期の、ぼんやりしていた時期に、書籍を読むというリハビリを行っていた影響だった。メイコやレンはそこからいくらか借りていたらしい。
しかしそのカイトの部屋は、レンが無断で入った事が発端で、鍵が二重に取り付けられてしまった。他のボーカロイドの部屋は、博士の方針により鍵の類が一切ない。交流しやすいように、というのが理由である。
現在、頼めば本は貸してくれるし、本人がいれば中に入れてくれるのだが、やりにくくなったとレンはぼやいていた。自業自得だとリンは思う。
「選択肢としては、誰か知っている人に聞いてみる、などですね」
「う、うう。でも、博士とか所長に相談するっていうのも、ちょっとヤだなぁ」
リンは難色を示していた。ルカも同意見である。ここまで相談せずにやってきたのだから、ここで博士を頼るのは諦めたようで嫌だった。
どうしようと顔を見合わせた時、ちょうどリンのお腹が鳴った。照れ笑いをしたリンに、ルカは食事を提案した。
時間は正午、ちょうどいいタイミングである。
次:封筒が欲しいと彼女は言った3
「他にあるとすれば、博士の部屋とか?」
リンは腕を組んで考えている。確か博士は今、研究室にいるはずだ。しかも、先程覗いた時には眠っていた。また徹夜をしていたのだろう。
「あんまり、今は、入れないかな。さっき寝てたし」
すると、ルカは妙にほっとした顔をした。
「もしかしたら、他の部屋にあるかもしれません」
「ミク姉は持ってないって言ってたし、レンも持ってないだろうし、あとはメイコ姉とカイにぃだけど、メイコ姉は仕事でいないし、カイにぃはお掃除忙しそうだったし」
「他の、倉庫などにはありませんでしょうか」
「どうだろう」
悩んでいても仕方ない、とりあえず行ってみようとリンが言うと、ルカはすぐに頷いた。
そしてやっと廊下に出ようとすると、ばたばたと走りくる音がした。無遠慮に戸が開け放たれ、壁とドア止めが接触する音がする。ガツンという大きな音だ。
「あ、カイにぃ」
リンは嬉しそうな顔だ。あのね、と声をかけようとすると、カイトは珍しく切羽詰った様子でこう言った。
「ごめん、ちょっと忙しくて。これくらいの書類見なかった?」
「しょるい?さっきそこに」
コーヒーテーブルの上を指差す。カイトがテーブル上にある紙の束を視認すると、廊下へ声を張り上げた。
「博士、ありました!持って行きます」
テーブルに大股で近づいて回収すると、リンとルカに苦い顔を向けて言う。
「ちょっと博士と出掛けて来る。新井さん、今日お休みだから、お昼は出前を頼んでいいよ。警備の人には言っておくから」
遠くから博士の声が聞こえる。カイトはそれに返事をして、リンたちに軽く頭を下げた。
「ごめん、もう行く。夕方には所長が帰って来るから、晩御飯は所長の指示に従って。それじゃあ」
本当に急いでいるらしく、普段見られない粗雑さで扉が閉められた。
音が大きかったのもあるが、あっと言う間の出来事に、ルカとリンはぽかんと口を開けている。
「珍しい、ですね」
「う、うん」
彼女たちは閉まりきった明るい茶色の扉を見ていたが、やがてリンが口を開いた。
「……行こっか。なんか博士の部屋、空いたみたいだし。中、探してみようよ」
「無断で入るのはどうかと思うのですが」
とはいえ、いいタイミングである。博士の部屋に忍び込むのは、最終手段としてルカも考えていた事だ。
「鍵掛かってたらダメだったって事で、別に考えよ。忍び込んだって、怒られるだけだよ。前にブーブークッション仕掛けに行った時、そうだったから、大丈夫!」
無茶苦茶言う先輩だと考えながら、ルカは曖昧な笑みを作った。
「どうして突然、手紙を出す気になったのですか」
博士の研究室への道すがらルカが聞くと、横を行くリンは腕を組んで唸りだした。かつかつと廊下に響いていた二人分の靴音が止まる。先に止めたのはリンだ。
ひとしきり考え込んだ後、迷いを払拭していない顔で口を開いた。
「今まであんまり考えた事なかったけど、博士とかカイにぃとかの話を聞いて、守られてるんだって、ちょっとはわかったから、だと思う。たぶん」
特に、と、リンは続けた。
「博士たちがさ、隠してやってたのは、ちょっとむかついたよ。だけど、大変だった人たちに、感謝を忘れたらダメだから。わたしは会社の人の事、嫌いになりたくないな。ルーちゃんは?」
ルカはリンの目を見る。純な心がそのまま表れたような琥珀色の瞳。綺麗だった。
「……ええ。開発者や、管理をしてくださっている方を、嫌うなんてありえませんわ」
「でもさ、ルーちゃん、カイトにぃの事さ」
「嫌いというではありませんので。苦手なだけです」
ぴしゃりと言い切って黙り込んだ。リンは困った顔でルカを見ていたが、やがて窓の外を見やる。
「わたしね、鈴木博士はちょっと苦手。でも無視するだとか、そんな事はしたくない。それにルーちゃんはあの博士の事、好きでしょ?」
素直に苦手だと話してくれたリンに、ルカは安らかな気持ちになった。
「感謝していますから。……リン先輩、実は」
ルカは、リンには話しておこう、そんな気になった。心境がいつの間にか変化している。彼女が好き嫌い関係なく、手紙を送ろうとしている事を知ったからだろう。先程まで矜持の壁で押さえられていた隠し事が、するりと流れ出した。
「わたくしも、手紙を出そうと思って、先程封筒を探していたのです」
リンが驚いた顔をした。
「リビングにいた理由?」
「そうです」
返事を聞いて、リンの頬は自然と緩み、目尻が落ちた。
「誰に出そうと思ってたの」
耳を朱に染め、もじもじと女性的な仕草をしながら彼女は答える。
「鈴木博士に」
暴漢に襲われ、鈴木博士に守られた事を、ルカはまったく忘れていなかった。彼女にとって、彼は教師であり父である。その人との出来事を忘却するなどできるわけがない。
当たり前だとリンは得心し、同時に、彼女の滲み出る優しさに喜びを隠し切れずにいた。やっぱりいい子だと先輩のように、事実リンの方が先輩なのだが、思考する。リンはルカを大層気に入っていたが、更に気に入る理由が増えたのだった。
研究室の扉に鍵は掛かっていなかった。
リンは鍵が掛かっていないだろう事を確信していたので驚かない。博士はあまり出入りを制限したくないらしく、見られてはいけない資料が置いてある棚や引き出しには鍵が掛かっているのだが、部屋そのものには出掛ける時にも鍵を掛けないのである。
乱雑に紙やらファイルやらが積まれているデスクを見る。ほとんど机の表面が見えない状態で、よくこれで仕事ができるなとリンとルカは関心した。パソコンはパスワード入力画面のまま放られている。無用心なのは確かだが、忍び込んだ二人はパスワードを知らなかった。
とりあえず手分けをして探す。ガラスの扉が付いた棚には、ファイルがあるようにしか見えなかった。棚にはないだろうと、リンはファイルケースの引き出しを順に開けていく。すると、目的のものはすぐに見つかった。
「あった!」
リンの声にルカが近寄った。どれどれと背後から見やると、確かに茶色い封筒と切手がセットになって置いてある。
「便箋はあるのかな」
「これでしょう」
ルカが示したのはファイルケースの横で、本とノートが並べられているところだ。
「全部そろいましたね」
「うん」
よかったと二人で胸を撫で下ろしている。さて、何を書こう、どうやって書こうと考えていたが、リンの思考がとある地点で止まった。
「あて先とか、どうすればいいんだろう」
基本的な知識はあるが、知恵はない。そもそも、細かい知識もない。ルカは郵便についての知識を、脳内で必死に探した。
「た、たしか、封筒の表に住所と名前を書くと記憶しております」
「そうそう、それで、上の枠にゆーびんばんごーを、郵便番号を……ねえ、ルーちゃん」
「はい」
「開発部の住所って、知ってる?」
ルカは首を振った。そういえば、住所を知らない。
「あとさ、これ、鈴木博士と田中博士へって書いて、届くのかな」
彼女たちは顔を見合わせ、首を傾けた。
「……世間知らずだよね、わたしたち」
ルカは否定しない。確かに、知らない事が多い。それでも大丈夫だったのは、サポート体制が整っていたからだ。何でも博士たちに任せきりだという事を改めて思い知った。
「どうしましょう。何か、そういう事がわかるような資料があればいいのですが」
「ネットが使えればいいんだけど、今は使用禁止だもんね。カイトにぃなら、そういうのが書いてある本とか持ってるかも知れないけど。でもカイトにぃの部屋、鍵かけられちゃったしなぁ」
研究所内でアンドロイドの研究関係以外の本を一番持っているのは、意外にもカイトである。研究所に来た初期の、ぼんやりしていた時期に、書籍を読むというリハビリを行っていた影響だった。メイコやレンはそこからいくらか借りていたらしい。
しかしそのカイトの部屋は、レンが無断で入った事が発端で、鍵が二重に取り付けられてしまった。他のボーカロイドの部屋は、博士の方針により鍵の類が一切ない。交流しやすいように、というのが理由である。
現在、頼めば本は貸してくれるし、本人がいれば中に入れてくれるのだが、やりにくくなったとレンはぼやいていた。自業自得だとリンは思う。
「選択肢としては、誰か知っている人に聞いてみる、などですね」
「う、うう。でも、博士とか所長に相談するっていうのも、ちょっとヤだなぁ」
リンは難色を示していた。ルカも同意見である。ここまで相談せずにやってきたのだから、ここで博士を頼るのは諦めたようで嫌だった。
どうしようと顔を見合わせた時、ちょうどリンのお腹が鳴った。照れ笑いをしたリンに、ルカは食事を提案した。
時間は正午、ちょうどいいタイミングである。
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