『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』文章保管用ブログ。
Posted by ささら - 2010.03.31,Wed
メイコの休日1の続き。
防音のために厚くなっている重い扉を開けると、部屋の中でパイプイスに座った男性二人が顔を上げた。
「お、はよう、ございます」
カイトの挨拶は随分歯切れが悪かった。
「おっす」
肩までの長髪をいくつも編み込み、余り布を纏っているようにしか見えない格好の男が、くしゃりとした笑顔で応える。向かいのイスに座っているきっちりとした雰囲気のスーツの男は、ノート型のコンピュータを床に下ろしながら挨拶を返した。
「おはよー。時間通り。さすがボーカロイド」
「アンドロイドだからと言って時間通りに動けるわけじゃないですよ」
言い直しの意味も含めた言葉を送るが、そんなわかりにくく、意味の薄い拘りを他人が気付くわけもないのである。
「知ってる知ってる。でも、ボーカロイドは比較的、人間よりは、守ってくれるけどなー。特に君のとこのメイコとかさー」
「そのメイコですが」
カイトが斜め前に移動すると、人間にしては珍しい赤茶色をした頭部が見えたので、気がついた二人が驚いた表情になった。
メイコは部屋に入ると、まず軽くお辞儀をし、その後に頭を上げてから、営業スマイルよりもラフな笑みで言った。
「おはようございます、お久しぶりです。弟がいつもお世話になってます」
スーツの男の方が立ち上がり、メイコに近寄った。この業界にしては珍しく、きっちりとしたスーツを毎回着こなしている。まるで営業か何かのようだが、れっきとした音楽のエンジニアであり、他にも作詞や作曲、編曲なども行える才能の持ち主だ。メイコは何度も仕事で関わっており、顔馴染みなので緊張も薄い。
「メイコ久しぶりー。うん、世話ね。手はかかるけどなー、カイト」
「ご迷惑お掛けして申しわけありません。カイトは本当に世間知らずなんですよ」
「そういうのとはまた違うんだ。まあいいや」
気にするな、そう言わんばかりに手をぱたぱたと振った男の横から、もう一人の男が出てきた。編み込みされた黒髪はこの前会った時の大人しい短髪と違うのだが、何故か違和感がなかった。顔立ちが別の国の人間のようで、特徴的なのである。彼が作曲し、メイコが歌った曲は、いくつもヒットチャートの上位に入っていた。
彼は顔の位置まで片手を上げて、挨拶の代わりにする。
「よっ、今日どした?」
「オフだったので、こいつがやってる事を見ておきたいなと思ったんです。駄目ですか?」
「もちろんオッケー。当然だろ」
随分軽く許可しているのは、知り合いだという理由もあるだろうが、それ以上に、これが趣味の範疇に入る事だからだ。
「作った曲、動画をくっつけて公開してるんですよね。あの、見た事、なくて申し訳ないんですけど」
その言い方は正確ではない。見た事はあるが、思い出せないようになっているだけである。
メイコの言葉に応じたのは編み込み髪の男である。
「結構好評なんだぜ。今回は第三弾と、他に色々デモを歌って貰おうと思ってる。で、おーいそろそろ用意ー……っとと、言うまでもないな」
スーツの男が取り出した小さなプラスチックは、コンピュータ用の小型記憶装置だ。蓋部分を外すとオス型のプラグが露わになる。カイトは、それを首後ろの差込口に迷い無く挿した。普段はケーブルなどを挿す場所だが、他の規格、例えば小型の記憶メモリにも対応している。
「曲のやり取りはデータでやってるんですね」
「ああ。楽譜でやるのは他の人間が介在するからで、この人数ならデータだけの方が楽なんだよ。メイコも次はそうすっか?」
「そうですね、楽そうですし」
メイコは答えながらも、その優しさに申し訳なくなった。楽譜でやり取りするのは、確かに紙などの実物があったほうが楽だという理由もあるのだが、ボーカロイドを守るためにそうしているという事実を彼女は知っていた。万が一ウィルスが混入していた場合、多少のものは対処できるが、全く未知のものを防ぎきれるとは限らないのだ。
準備が始まったので、メイコに構っていた人間も、早速離れていった。メイコが残されたようにポツンと立っていると、メモリを首に挿したままのカイトが寄ってきて、首を傾げた。
「ええと……」
しかし、特に用事はなかったようである。
「直接データでやるのは楽?」
そんな彼に、メイコは助けるような形でこんな事を聞いた。
「そうだね。楽、だと思う」
「良いわね。今度からそれでやらせて貰えないかしら」
「別に、博士たちは、楽させないためにメイコたちにこれを禁止してる訳じゃないよ。念のため」
「まあねえ。でも、実際やってる奴を見ると、ちょっと羨ましいわ」
カイトはそれを聞いて憂いを帯びた表情を見せた。
「めーちゃん、僕がこれを出来るのは、商業ではもう使えないからだよ。直接やるのはやっぱり危ないから、めーちゃんたちには許可下りないと思うな」
「……ああ、そう」
言う通り、彼にこの行為が許されているのは、単に彼の価値がメイコたちボーカロイドより一段劣るからである。商品として売れない状態である彼の価値は薄く、だからこそ自身の機能を自由に使えるのだ。
メイコは自分の商品価値を低く見ていないが、それでも最近の仕事状況で思う事があった。いつか、きっとそう遠くない未来、自分もカイトと同じ位置に行くだろう。その時、彼のように淡々と事実を認める事ができるのだろうか。
夏の外気から開放されているものの、部屋の中は空調が行き届いている。身震いしたのは、そのせいだと彼女は思う事にした。
他人の仕事を見る機会がないわけではないが、カイトの仕事振りを見る機会は珍しいものだった。
彼は研究所内での掃除や事務仕事でさえ、あまり他人に見せようとしない。食事を作っている時も調理場から出て来る事は少なく、キッチンと繋がっているリビングの会話にも参加するケースは多くなかった。手伝いを拒否はしない、しかし、ありがとうの一言はあるものの、あまり嬉しくない様子の事が多かった。夜、彼が自室に戻ると、用事がない限りほとんど出て来ず、消極的な態度で生活している。そういう性格なのだ。
目下、新人ボーカロイドのルカと相性が悪いらしく、仲が冷え切っているのだが、その最大の原因がこの性格だろうと、メイコは思っている。
ルカは生真面目な性格で、仕事のためなら何にでも積極的になる。彼女はコミュニケーションを嫌がらず、決して疎かにしないのだ。対して、彼は引きこもり気質である。ルカが、こちらが改善しようとしているのに、あるいは、していたのに、と考えて苛立つのも無理はない。
(融通が利かないのも考えものよね。そういうタイプもいる、とか、考えられないものかしら。カイトもマイペース過ぎ。他人の心なんて少しも考えないんだから。少しくらい、甲斐性てものを身に着ける努力をして欲しいわね。察しが悪くない事、みんなにばれてるわよ)
メイコはそんな愚痴を内心だけで垂れ流した後に、でも仕方ないわねと、納得する努力をした。
(ルカが来てやっと半年、彼女に早急な変化を求めるのは酷だわ。変えて欲しいのはカイトの方なんだけど、こちらはこちらで色々あって……ああもう)
ため息が自然と出そうになったのは、メイコのせいではないだろう。
「じゃあ、始めるからー」
そう言い放ったのは、長い会議用机に置いた機械を操作している男である。それに繋がれたスピーカーから流れ出るホワイトノイズに、ボーカロイドの耳は敏感に反応した。今回はいつもエンジニアをやっている彼が作曲した曲に、いつもは作曲を担当している男がギターなどの楽器を合わせるという話だ。まず歌を合わせるという事で、生楽器担当は現在、部屋の隅で暇そうだ。
座っているカイトの前にはマイクスタンドが置かれていたが、彼は特にヘッドフォンなどはしていない。普通は、環境音に惑わされないようにつけるものなのだが、こんな状況で収録をしているのを見るのは始めてだ。普通と違うなとメイコは思った。
「じゃあ、明るいやつってファイル名のやつ、よろしく」
「相変わらず適当だ」
「そっちも大概、1とか2とかだろ。わかりにくいから止めろよー」
「カイトはどう思う?」
突然振られて、カイトは困惑した表情でこう返した。
「仮だから適当でもいいと思いますけど、ああでも確かに、添付ファイルの名前が数字一文字だけなのはちょっと止めて欲しいです」
話題を振った人間が不利になったので、もう一人の人間がけらけら笑い始めた。
結構和気藹々としているんだなと、メイコは微笑ましい気持ちになる。ただ、カイトの表情があまり浮かれたものでない事が気になった。もし、自分が、同じような状況だったら、多分もっと楽しそうにやると思うのだ。本心は楽しいのかもしれないが、見た目だけでは楽しそうに見えない。
こんなに喜怒哀楽が素直に信じられないやつだったかなとメイコが考えているうちに、質のあまり良くないスピーカーから音楽が流れ始めた。作曲者の言うとおり、明るい曲調である。
イントロの後入った歌。メイコはそれを聞いて表情を見る見る曇らせた。編み込み髪の男の反応を見ると、彼もあまりいい表情はしていない。そして、歌っている当人のカイトも不満そうにしている。作曲者だけが、苦笑いを浮かべていた。
一番が終わると、ストップの声と共に曲が止まる。ストップを掛けたスーツの男が、笑いながら言った。
「思った通り、声と曲が全然合わないなー」
「わかってたんかい!」
相棒的存在は、まるで計算されたコントのようにつっこみを入れた。
次:メイコの休日3
「お、はよう、ございます」
カイトの挨拶は随分歯切れが悪かった。
「おっす」
肩までの長髪をいくつも編み込み、余り布を纏っているようにしか見えない格好の男が、くしゃりとした笑顔で応える。向かいのイスに座っているきっちりとした雰囲気のスーツの男は、ノート型のコンピュータを床に下ろしながら挨拶を返した。
「おはよー。時間通り。さすがボーカロイド」
「アンドロイドだからと言って時間通りに動けるわけじゃないですよ」
言い直しの意味も含めた言葉を送るが、そんなわかりにくく、意味の薄い拘りを他人が気付くわけもないのである。
「知ってる知ってる。でも、ボーカロイドは比較的、人間よりは、守ってくれるけどなー。特に君のとこのメイコとかさー」
「そのメイコですが」
カイトが斜め前に移動すると、人間にしては珍しい赤茶色をした頭部が見えたので、気がついた二人が驚いた表情になった。
メイコは部屋に入ると、まず軽くお辞儀をし、その後に頭を上げてから、営業スマイルよりもラフな笑みで言った。
「おはようございます、お久しぶりです。弟がいつもお世話になってます」
スーツの男の方が立ち上がり、メイコに近寄った。この業界にしては珍しく、きっちりとしたスーツを毎回着こなしている。まるで営業か何かのようだが、れっきとした音楽のエンジニアであり、他にも作詞や作曲、編曲なども行える才能の持ち主だ。メイコは何度も仕事で関わっており、顔馴染みなので緊張も薄い。
「メイコ久しぶりー。うん、世話ね。手はかかるけどなー、カイト」
「ご迷惑お掛けして申しわけありません。カイトは本当に世間知らずなんですよ」
「そういうのとはまた違うんだ。まあいいや」
気にするな、そう言わんばかりに手をぱたぱたと振った男の横から、もう一人の男が出てきた。編み込みされた黒髪はこの前会った時の大人しい短髪と違うのだが、何故か違和感がなかった。顔立ちが別の国の人間のようで、特徴的なのである。彼が作曲し、メイコが歌った曲は、いくつもヒットチャートの上位に入っていた。
彼は顔の位置まで片手を上げて、挨拶の代わりにする。
「よっ、今日どした?」
「オフだったので、こいつがやってる事を見ておきたいなと思ったんです。駄目ですか?」
「もちろんオッケー。当然だろ」
随分軽く許可しているのは、知り合いだという理由もあるだろうが、それ以上に、これが趣味の範疇に入る事だからだ。
「作った曲、動画をくっつけて公開してるんですよね。あの、見た事、なくて申し訳ないんですけど」
その言い方は正確ではない。見た事はあるが、思い出せないようになっているだけである。
メイコの言葉に応じたのは編み込み髪の男である。
「結構好評なんだぜ。今回は第三弾と、他に色々デモを歌って貰おうと思ってる。で、おーいそろそろ用意ー……っとと、言うまでもないな」
スーツの男が取り出した小さなプラスチックは、コンピュータ用の小型記憶装置だ。蓋部分を外すとオス型のプラグが露わになる。カイトは、それを首後ろの差込口に迷い無く挿した。普段はケーブルなどを挿す場所だが、他の規格、例えば小型の記憶メモリにも対応している。
「曲のやり取りはデータでやってるんですね」
「ああ。楽譜でやるのは他の人間が介在するからで、この人数ならデータだけの方が楽なんだよ。メイコも次はそうすっか?」
「そうですね、楽そうですし」
メイコは答えながらも、その優しさに申し訳なくなった。楽譜でやり取りするのは、確かに紙などの実物があったほうが楽だという理由もあるのだが、ボーカロイドを守るためにそうしているという事実を彼女は知っていた。万が一ウィルスが混入していた場合、多少のものは対処できるが、全く未知のものを防ぎきれるとは限らないのだ。
準備が始まったので、メイコに構っていた人間も、早速離れていった。メイコが残されたようにポツンと立っていると、メモリを首に挿したままのカイトが寄ってきて、首を傾げた。
「ええと……」
しかし、特に用事はなかったようである。
「直接データでやるのは楽?」
そんな彼に、メイコは助けるような形でこんな事を聞いた。
「そうだね。楽、だと思う」
「良いわね。今度からそれでやらせて貰えないかしら」
「別に、博士たちは、楽させないためにメイコたちにこれを禁止してる訳じゃないよ。念のため」
「まあねえ。でも、実際やってる奴を見ると、ちょっと羨ましいわ」
カイトはそれを聞いて憂いを帯びた表情を見せた。
「めーちゃん、僕がこれを出来るのは、商業ではもう使えないからだよ。直接やるのはやっぱり危ないから、めーちゃんたちには許可下りないと思うな」
「……ああ、そう」
言う通り、彼にこの行為が許されているのは、単に彼の価値がメイコたちボーカロイドより一段劣るからである。商品として売れない状態である彼の価値は薄く、だからこそ自身の機能を自由に使えるのだ。
メイコは自分の商品価値を低く見ていないが、それでも最近の仕事状況で思う事があった。いつか、きっとそう遠くない未来、自分もカイトと同じ位置に行くだろう。その時、彼のように淡々と事実を認める事ができるのだろうか。
夏の外気から開放されているものの、部屋の中は空調が行き届いている。身震いしたのは、そのせいだと彼女は思う事にした。
他人の仕事を見る機会がないわけではないが、カイトの仕事振りを見る機会は珍しいものだった。
彼は研究所内での掃除や事務仕事でさえ、あまり他人に見せようとしない。食事を作っている時も調理場から出て来る事は少なく、キッチンと繋がっているリビングの会話にも参加するケースは多くなかった。手伝いを拒否はしない、しかし、ありがとうの一言はあるものの、あまり嬉しくない様子の事が多かった。夜、彼が自室に戻ると、用事がない限りほとんど出て来ず、消極的な態度で生活している。そういう性格なのだ。
目下、新人ボーカロイドのルカと相性が悪いらしく、仲が冷え切っているのだが、その最大の原因がこの性格だろうと、メイコは思っている。
ルカは生真面目な性格で、仕事のためなら何にでも積極的になる。彼女はコミュニケーションを嫌がらず、決して疎かにしないのだ。対して、彼は引きこもり気質である。ルカが、こちらが改善しようとしているのに、あるいは、していたのに、と考えて苛立つのも無理はない。
(融通が利かないのも考えものよね。そういうタイプもいる、とか、考えられないものかしら。カイトもマイペース過ぎ。他人の心なんて少しも考えないんだから。少しくらい、甲斐性てものを身に着ける努力をして欲しいわね。察しが悪くない事、みんなにばれてるわよ)
メイコはそんな愚痴を内心だけで垂れ流した後に、でも仕方ないわねと、納得する努力をした。
(ルカが来てやっと半年、彼女に早急な変化を求めるのは酷だわ。変えて欲しいのはカイトの方なんだけど、こちらはこちらで色々あって……ああもう)
ため息が自然と出そうになったのは、メイコのせいではないだろう。
「じゃあ、始めるからー」
そう言い放ったのは、長い会議用机に置いた機械を操作している男である。それに繋がれたスピーカーから流れ出るホワイトノイズに、ボーカロイドの耳は敏感に反応した。今回はいつもエンジニアをやっている彼が作曲した曲に、いつもは作曲を担当している男がギターなどの楽器を合わせるという話だ。まず歌を合わせるという事で、生楽器担当は現在、部屋の隅で暇そうだ。
座っているカイトの前にはマイクスタンドが置かれていたが、彼は特にヘッドフォンなどはしていない。普通は、環境音に惑わされないようにつけるものなのだが、こんな状況で収録をしているのを見るのは始めてだ。普通と違うなとメイコは思った。
「じゃあ、明るいやつってファイル名のやつ、よろしく」
「相変わらず適当だ」
「そっちも大概、1とか2とかだろ。わかりにくいから止めろよー」
「カイトはどう思う?」
突然振られて、カイトは困惑した表情でこう返した。
「仮だから適当でもいいと思いますけど、ああでも確かに、添付ファイルの名前が数字一文字だけなのはちょっと止めて欲しいです」
話題を振った人間が不利になったので、もう一人の人間がけらけら笑い始めた。
結構和気藹々としているんだなと、メイコは微笑ましい気持ちになる。ただ、カイトの表情があまり浮かれたものでない事が気になった。もし、自分が、同じような状況だったら、多分もっと楽しそうにやると思うのだ。本心は楽しいのかもしれないが、見た目だけでは楽しそうに見えない。
こんなに喜怒哀楽が素直に信じられないやつだったかなとメイコが考えているうちに、質のあまり良くないスピーカーから音楽が流れ始めた。作曲者の言うとおり、明るい曲調である。
イントロの後入った歌。メイコはそれを聞いて表情を見る見る曇らせた。編み込み髪の男の反応を見ると、彼もあまりいい表情はしていない。そして、歌っている当人のカイトも不満そうにしている。作曲者だけが、苦笑いを浮かべていた。
一番が終わると、ストップの声と共に曲が止まる。ストップを掛けたスーツの男が、笑いながら言った。
「思った通り、声と曲が全然合わないなー」
「わかってたんかい!」
相棒的存在は、まるで計算されたコントのようにつっこみを入れた。
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