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『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』文章保管用ブログ。
Posted by - 2024.11.22,Fri
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Posted by ささら - 2010.07.13,Tue
メイコの休日3の続き。

 聡明なボーカロイドであるはずのメイコだが、この日は全く勝手が違った。彼女の内心は、怒鳴りつけてしまった事と、ミクへの嫉妬に似た気持ちと、自負と矜持がそれぞれにエネルギーを持っていて、まるで雷雲の中にいるような、恐ろしく不安定なものになっていた。だから、彼女は彼の、長髪の男の声にはじめ気がつかなかった。
「メイコ」
「あ、ええ、なんでしょう」
「気分悪い?いや、ボーカロイドの場合なんていうんだ?ええと、状態?」
 まったく困った顔で男は言った。何度かボーカロイドとの仕事をしているものの、彼がボーカロイドやアンドロイドに精通しているわけではない。安心させるためにメイコは微笑む。少しだけ強張っていた。
「私たちも気分と言いますから。人間の方とほとんど同じような言い方で、身体状態を表現するの」
 そっか、と、彼は返した。メイコもすぐに彼から視線を外す。
 しかし、間は長いようで短かった。すぐに、男は口を開いたのだ。
「最近景気悪いのか?」
 単刀直入に聞かれ、表情筋が変化する感覚をおぼえた。たぶん、今自分の顔は、カイトがよくしているあの顔にそっくりだろうとメイコは思った。
「まあ……。仕事は、まあ、ないわけじゃないんですが……仕方ありません。ミクやリンやレン、それにルカが頑張ってますし」
「あー、研究所の収入的にはそんなに変わらず?」
「むしろ、人数の増加に比例してるかしら」
「まあ、普通そうだよなぁ。てことは、今は自由時間が結構あるって事だ」
 彼がそう言ったので、メイコは訝しげに首を傾けた。
「ええ。でも、さほど自由になったわけでもなくて」
 それがまた苦しい、と、なんとなく浮かんだ言葉を、メイコはあえて宙ぶらりんのままにしておいた。
 一方、歌の収録を続けていたカイトは、先程の会話を気にして、うまく集中できないでいた。
 ミクが仕事について一任された件について、カイトが知ったのはかなり前だったが、メイコたちに話されたのは昨日だ。博士は、みんなにミクの件を話した後、メイコと二人きりで話し合いの場を持った。詳しくはわからないが、気にするなとでも言ったのだろうとカイトは思っている。当然自分も彼女を慰める気で、次はメイコだと言ってみた。しかし、むしろそれがまずかったかもしれない。
 姉貴分を自認しているメイコが大っぴらに反発する事はないだろう。同時に、研究所一番のベテランである事も自認しており、大なり小なり気を悪くはするだろうと博士は事前にそう考察していた。カイトとしても同感で、フォローしなければと夜な夜な話し合ってはいたのだが、こんな結果になった今、自分たちの対処の悪さを省みるのだ。
「カイト、ストップ。上の空になりすぎ。丁寧に歌って。んじゃ、も一回」
 収録は何度も止まっていた。止まる度に指示が飛び、止まる度にカイトの静かな謝罪が聞こえる。小節が少し進んだと思えば戻り、終わる気配はない。
 デモだからだろう。リズム部とベース、そして歌部分と同じメロディを流れるシンセサイザー、それだけで構成されている。生楽器を録音してつける予定だが、今は環境に馴染ませるかのように、主張しない音たちで作られ、派手さはない。エレクトロニカと評したい音だ。ボーカルを重視したもののようだが淡々としている。
 暗い曲だとメイコは率直に思った。普段なら、切ないという表現を使っただろうが、物事の感受は精神状態に左右される。もちろんこの時もそうだった。彼女の感性には群青より深い色のフィルターがかかっていた。
 音が止んだ。静寂が生まれる。正確には、意図的に、プツリと切られた。
 メイコの横の男が首を傾げる。向こうの進捗を把握していなかったようだ。
「……うん……カイト、休むか?」
 録音をしていた男が言った。少し疲れが見える。しかし、カイトの首は横に振られた。
「いえ、もう一度。ここをどうにかしないと、この調子では終わらない」
 などと言いながらも、彼にも疲労の色が見えた。無意識だろうが、喉の辺りを擦っているのだ。続けるのは酷な状況に見える。
「その意見は正しいけどな。おーい、お前はどう思う?」
 カイトと話していた男は、スーツの袖から覗く腕時計を確認しながら、自らの編み込み髪をいじっていた男に聞いた。
「あ?ああ、楽器?」
「じゃなくて、一度作り直した方がいいかもしれないという話。リズムに違和感があるんだ。二番Aのブレイク、ギター入る直前の部分だけど、これ、歌が楽なように変えてもいいか」
 強い断定口調だ。
「別にいいけど、何、苦手なのか?」
「らしい。試した感じ、特定のリズムによる音節の繋ぎが駄目のようだ」
「へぇ。聞かせてくれ」
 提案をされた方が本当に聞いていなかったようで、どんなものなのかという話になった。そして、もう一度だけそこをやってみる事になった。
 曲が途中から始まった。少しして、例の部分に差し掛かる。集中するために瞼を閉じていた男が、なんとも言えない間抜けさを含む歪んだ笑みを浮かべた。
「あーあーなるほど?こういう節回し苦手なわけか」
 その言葉を合図に音楽が止まった。
「すると、他のパートも変えないとな。この音、主題だろ?」
「この部分だけ変化つけたって事で」
「歌詞的にここは繰り返しにしたいところだぜ」
「じゃ、歌詞変えればいいんじゃね」
「そっちの方が現実的か」
 なるほどなるほどと頷きあう二人に、カイトは暗い視線を送っている。それに、話し込んでいる二人が気付いている風はない。もしかしたら、気がついているのかもしれないがカイトやメイコに窺い知る事はできず、黙って見るしかない。そんな理由で、二人の話し合い、という名の会話はそのままダラダラと続く羽目になる。
 気がつけば時間が差し迫っている事に最初に気がついたのは、普段きっちりとした生活を送っているメイコだった。ふっと時計を見て、あっと声を上げて、カイトに目配せをする。それだけで、彼はわかった。頷き、ため息をついた。
「お二方、時間です」
「ああ、本当だ。まずったな予定の半分も進んじゃいない」
「お前がトロいからだ」
「うるさいぞ。お前なんて前の時、時間超過の延長しまくりだっただろう」
 軽口を言いつつ、二人は機器を片付けていく。カイトが手伝いを始めたため、メイコもそれに習おうとすると、全員からやんわり拒否された。ゲスト扱いという事だ。
 持ち物が多かったのは今回作曲を担当した方で、その彼の手伝いをカイトが買って出ると、メイコの他にもう一人、手持ち無沙汰な人物が出現した。
 その人物が、半分は退屈を、もう半分は好奇心を持て余して壁際で拗ねているメイコに声をかけた。
「メイコ、さっき、自由時間が増えたって言ったよな」
「え、ええ」
「じゃあよ、メイコにもこれ頼んでいいか?」
「これと言うと、この、これ?」
 まだ片付けている二人を指差す。
「そう。このこれ」
「いいんですか?」
 声が無意識に弾んでいる。胸の辺りで、ざわざわとした雑音が鳴り出した、気がした。
「そりゃあ当然。願ったり叶ったりってね。女性ボーカルで一作上げてみたかったんだよ。あと、デュエットとか。ああ、会社から許可取れない?」
「いいえ、私から掛け合って見ます。大丈夫ですよ。うちの研究所の人たちは、私たちには甘いから」
 それはそれで威張れる事ではないと思い、メイコは口に出した後に赤面した。
「カイトのもちょい変化球だが実現したしな」
「そういえば、最初は」
 商業流通させる予定だったのだ。それが会社の都合で駄目になり、反発からこの『仕事にならない仕事』が生まれたと聞く。
「そういう方針ならこっちは従うしかない。コントロールできないのを忌避するのはわからんでもないし。メイコをこういう活動に引き込むのも、もしかしたら、商品価値が落ちるとか言われるかもな。叶ったら御の字って事で」
「商品価値、それなら心配ありませんって」
「会社の方針はしらねーけど、ボーカロイドが思ってるより、ボーカロイドの価値は低くないぜ。たぶん。俺らなんて自分から売り込んでやっと採用してもらえるってなもんで。締め切りが差し迫ったのが二件、それから新しい方面に手を出してみようと思ってんだ。コンペの締め切りまでに一つ作らなきゃならんし」
「忙しいのね」
「次の仕事のための、当然の事だから、忙しいって感覚はないな。仕事っつーのは待ってても来ない。こっちから売り込まないとマンマ食えなくなって、本当に貧乏するんだぜ。仕事が向こうからやって来る身分になってみたいもんだが、それはそれで窮屈そうだ。メイコはどうよ」
 メイコは、彼の言葉で自分を振り返っていた。昔、特に、自分が生み出された直後の事を。
 C社では初の、実用的なハードウェアボーカロイド。実験的な部分もあったが、それは『どれだけうまく活動できるか』という部分だけだ。メイコは、はじめから芸能活動をする事が決まっていたし、そのための訓練を経て、デビューした。最初から仕事がやってきたわけではない。はじめは地味な、バックコーラスの仕事や、サンプルボイスの代わり。報酬の発生しない仕事をやった記憶もあるが、博士は知名度が上がる事が報酬だと胸を張っていた。
 そして、やがてメイコの名が売れ、人の口に上るようになると、博士は言った。見事に実ったこの実は、メイコの努力の賜物だ。メイコが、むしろボーカロイドが、人の喜ばせる仕事の一角にここまで入り込むなんて、以前は殆ど考えられていなかった。だから、この現実は、メイコの功績だ。そう言って嬉しそうに笑みを浮かべていた。今とは違う、昔の話だ。
 最近は、仕事も向こうから来るため、選択し、その選んだ仕事をこなす日々だった。それも今と違う。少し前、過去形の話。
 カイトを見た。昔の自分もこんな風に、失敗しながら、失態を犯しながら進んでいた。ままならない事もたくさんあり、助けられた事は数え知れない。いつの間に安穏とした生活が当たり前になっていたのだろうか。思い出せない。きっと、いつの間にかだ。
「窮屈……どうかしら。でも、確かに、待ってしまっていた。……ええ、ありがとう」
「よくわからんが感謝されたのでどういたしましてと答えておくぞ」
 屈託ない笑顔で礼に応えた彼に、メイコは南国の太陽を連想するのだった。

 帰りは流石に日が暮れていた。微妙に予定時間を超過したため、受付でひと睨み貰ったメイコたちは、粛々とそれぞれの家に引き上げた。
 駅の改札で二人と別れると、カイトは疲れを息にして吐き出した。
(緊張しすぎなのかもね。カイトは)
 メイコは密かにそう分析した。
「カイト。私も今度から、これ、参加するかもしれないから」
「え、と……なに、前に、博士からそんな話があったんだ?」
「さあね」
 そんな話があるわけない。だが、メイコは言わないでおいた。言ったら無駄な反発を招く、妙な確信があった。
「めーちゃん、先行ってて。券を買って来るから」
「そういえば、行く時も気になったんだけど、いちいち券売機で買うの面倒じゃない?カード使えばいいのに。ものによっては値引きもあるのよ」
 電子マネーで交通機関を利用できるそのカードは、かなり普及が進んでおり、だいたいの交通機関で使用可能の優れものだ。
「僕はあまり出かけないから必要ないよ。カード買うのも経費だから無駄にならないようにするべきだと思うけど」
「その言い方。博士にも私と同じ事言われたわね」
「鋭いね、めーちゃん」
「わかってきたわ。カイトと博士って、引きこもり状態の息子と、連れ出そうとする親、みたいな関係でしょ」
 そこまでひどくない、だとか、そんな言い方しなくても、だとか、引きこもりに失礼、だとか。なんだかわからない言い訳をぐちゃぐちゃ呟きながら、カイトは券売機に向かって行った。
「ん?つまり、私もカイトの親なわけなの?」
 苦笑した。そこまで面倒を見ているわけではない。それに、今日はカイトのお陰で、立ち直ったのだ。本人に自覚はなさそうなのは、メイコとしては結構な事だ。年長者の小さな威厳くらい、保ちたいものだった。


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