『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』文章保管用ブログ。
Posted by ささら - 2008.09.01,Mon
「一つの歌声」の続き。時期8月終わり。
緊張で足がすくむ。座っているのに浮いている感覚が怖くてリンはうつむいた。
リラックスしなきゃと膝に乗せた手を握り、何度も深呼吸する。突然肩に誰かの手が乗せられて、周りが見えていなかったリンはひゃあと声を上げた。
「リンちゃん、リラックス!」
「……む、無理だよー」
にこやかにリンを勇気付けようとミクは肩を叩く。
ミクは売れっ子アイドルだから慣れているのか、緊張しているようには見えない。リンが羨ましそうに見ると、私だって緊張してるよとミクは言った。
「適度に緊張感がないと困るしね。へにょへにょになってる時って、歌詞がある場所がわからなくなるの。さあ二番!って思ったら頭真っ白になったときはどうしようかと思ったわ」
ボーカロイドの歌データを保存している部分は、作りが繊細なためか、たまに妙な作動をする。歌詞を忘れたり、メロディを忘れたりするのだ。人間らしいと言えるかもしれないが、機械なのに人間らしいなんて、とリンは常々思っている。
リンたちは知らないが、カイトが歌えなくなった原因は、精神制御のために導入されたセーフティがその部分にロックを掛けた為だ。セーフティはそもそもカイトの生みの親で、自殺した博士が設計したものであり、ロックは意図的だったのかもしれないと、個人的にセーフティの解析をしていた者たちは言う。セーフティは未だ機能の全貌が掴めないブラックボックスであった。
セーフティを基に作られた制御装置を持つリンは、特に機能障害が出ることもなく今日この場所に居る。ライブ会場の控え室に。
「ああどうしよう、間違えちゃったりしたら」
「大丈夫大丈夫。失敗したときのことを考えるからダメなんだよ、もっと楽しいこととか、嬉しくなるようなこと考えなきゃ」
「……昨日のカイにぃの歌、すごく嬉しかった」
「リンちゃんすっごい喜びようだったもんね」
「だってもう聞けないって思ってたんだもん。ミク姉もそうでしょ?」
「確かに、私もそう思ってたから驚いた。いつ歌うたえるようになったんだろう」
「最近の検査はそのためだったのかな」
「そうなのかもね」
ミクはそう言って、よかったねと笑う。カイトが歌えるようになったなら、テープを伸ばした罪悪感に潰される事もなくなるだろうと思ったからだ。
今なら理由が聞ける気がして、なるべく優しく聞こえるような声でリンに聞く。
「ねえリンちゃん、どうしてあのテープ、聞けなくしちゃったの?」
リンは少し考えるように空中に目を泳がせると、うーんと唸りながら答えた。
「……私があれを聞いて、カイにぃ辛いんだって思ってカイにぃと一緒にいるのはダメだと思ったの。それだとカイにぃはもっと辛くなるんだって。わたしだってライブで歌ったりするようになったんだもん、もっとちゃんとしないと……あのテープがあると、きっと無意識に寄っかかっちゃうから」
語るリンの表情は静かで、なにか遠くのものを見つめるようだった。
その様子を見守るミクはリンが成長した事を理解した。彼女は自分の中の弱さを見つめたのだ。
それで他人のものを壊すのはどうかと思ったが、考えてみれば当人であるカイト自身があのテープを重く感じているようなのだ。それなら、リンの行動はリンにとってもカイトにとってもいいことだったのだろう。
「でもレンには悪い事しちゃったかも」
「あのあと話したんじゃないの?」
「実は、全然。追っかけてはきたけど、何も言ってこなかった」
(何も言わなかったということは、レンくんはリンちゃんの気持ちが分かってたのかもしれない。なんだかんだと言って双子だし)
「気になるなら、レンくんに聞けばいいんじゃない?素直に話せばわかってくれるよ」
「……うん」
リンがうなづくと、控え室の扉が開いて、メイコとレンが入ってくる。噂をすればなんとやらだなとミクは思った。
「そろそろ用意しなさい」
「はーい」
ミクはそう言うと、机の上に置いてあった冊子を読み始める。段取りの確認だ。
すると扉をノックする音がした。
「メイコさん、研究所のほうから電話ですよ」
「わかったわ。なにかしら……」
メイコは電話を取るため部屋を出て行く。アンドロイドは携帯電話を持てないため、こういう場合の連絡方法は施設に備え付けられた電話を使ったものになる。
「レン」
リンが呼んだ。レンはメイコが出て行った扉のほうを見ていてリンの方に意識がいっていなかったから、突然呼ばれたことに大層驚いた。何と聞き返す声に動揺の色が混じっている。
「……あの、その、ご……ごめんね」
突然謝られたレンは何がなにやらと言いたげな顔だ。
「はぁ?何の話」
「前の……カイにぃの」
それでピンときたらしい。レンは、ああ……と、うなづくと、バカだなぁと言うように苦笑した。
「オレは別に。つーかあれカイトのだし、カイトが気にしてないならいいんじゃないの。そもそもの所有者は田中博士だけど、リンが貰ったものだしな」
「わたしじゃなくてわたしたちが貰ったものだよ」
「そうかもしれないけど、リンにとってああすることが必要だったんだろ。リンの為になったならそれでいいよ」
レンは本当に気にしていないようだ。
「ね、大丈夫だったでしょう」
横でその様子を見ていたミクがリンに声をかける。
リンは安心した顔で、レンにありがとうと言った。すると、レンは顔を真っ赤にして、ミクと同じく冊子を読み始める。完全に照れ隠しだ。
それがおかしくて、リンとミクは小さく笑う。本当に楽しそうに笑う。
レンはそれで更に恥ずかしくなって、二人に抗議した。その抗議の仕方がかわいく見えて二人とも更に笑いだす。
メイコが部屋に戻ってきたときには、茹で上がったように真っ赤になりながら怒るレンと、その横でミクとリンはおなかを抱えて笑い転げていた。
二曲歌い終わって、興奮が収まらない。
上下する胸を押さえてリンは周りを見回した。
歓声が聞こえる。ステージから見える人、人、人。一階、二階、三階まで、沢山の人がいる。すごいと思った。こんなにも沢山の人が聞きにくるなんて思っていなかった。
そして、無名のボーカロイドであるリンとレンの歌を聞いて声を上げた人々がいた。
(ミク姉とメイコ姉の歌を聞きにきたのに、私やレンの歌を聞いても手を叩いて、腕を突き上げて……。なんて嬉しい事なんだろう。これが、これが、他人の前で歌うってことなんだ!)
ありがとうを何万回言っても足りない、この言葉をどう伝えればいいんだろう。
リンは思いを込めて深く礼をする。 レンもほぼ同時に頭を下げる。長く、長く。
後ろではスタッフが次の曲の用意をしている。その間、ミクとメイコが話をして間を持たすという段取りだった。
段取り通り、ミクとメイコは観客に向かって話し出す。
「みんなー、妹と弟の歌を聞いてくれてありがとう!」
「いつ間違えるかヒヤヒヤしたわ。でも何とかなったみたいで嬉しい。盛り上げてくれた皆さんのおかげです」
「ほんとほんと、ありがとう!……それで、今日この二人が歌うのは次で最後なんだけど……うん、もっと!って思うよね。この二人が正式にデビューしたときに聞いてくれるとうれしいなーなんて。私からのお願いです」
「私もお願いするわ」
「というわけで、次で四人で歌うのは最後です。……次の曲は、私たちの為に作られた曲であり、私たちに贈られた曲であり、私たちが贈る曲でもあります。とても気に入っている曲です……聞いてください」
ミクが告げるとワッと歓声が広がる。
ライトが全部消えると、歓声も静まって、すっと音が消える。歌を会場にいる者たち全てが待つように。
シンバルのタイミングを計る音にあわせて曲が始まると、照明が踊りだすようにまわる。
客席から数え切れないほどのライトと、多くの熱狂。
歌がマイクを通って伝わると、意味のある歌詞になって人々の耳に届く。
それは出会えた喜びを、嬉しさを、そして希望をうたう歌。
喜びが、そして希望が伝わるように思いをこめる。聞いている人に、何よりここにいない彼に聞こえるように。
ミクたちには、自然とここにいないはずの彼の声が聞こえてきた。昨日の歌、昨日の声が、頭の中で再生される。それが歌う力をくれているのだと、示し合わせもなくミクたちは思った。
間奏、観客にはそう聞こえるだろう。けれどミクたちにははっきりと、五つ目の声が聞こえていた。
五つの歌声が和音を奏でて広がり、消えた。
曲が終わると四人のボーカロイドが舞台袖に向かって歩きながら手を振り、観客はそれに声と全身の行動を使って応えている。
その光景の中、二つの影が会場をひそかに抜け出した。
「最後まで聞かなくていいのかよ」
会場から駅までの道を歩きながら、黒い髪の平凡な男は、無言で先を歩く影を呼び止める。
スポーツキャップを被っていた青い瞳の男は振り返ると、早く行きましょうといった。
「先程のが最後の曲ですよ」
「まだありそうだったけど」
「でも最後なんです」
やけにハッキリと言ったものだから、黒い髪の男はそれ以上追求できなくなった。彼がそうだと言うならそうなのだろう。
「楽しかったか?」
「さて、思う事は色々とありますが、とりあえず、兄弟たちが歌っているところを見れてよかったですよ」
彼はそう言ったあと、夜空に光る星を見上げる。さようならの呟きはとても小さいものだった。
メンテナンス室の前の廊下には、ボーカロイドたちからは博士と呼ばれている彼が座り込んでいる。
彼はうな垂れながら考える。研究者としても、保護者としても、手を尽くした。やる事をやってもそうなったなら、それが運命だったのだろうと。
ふと顔をあげると、真正面の窓から星が見える。
歌う声たちが、聞こえた気がした。
ライブの後、突然メイコが今日はホテルに泊まると言い出した。
控え室で、帰る気マンマンで支度していたミクたちは驚いて聞き返す。
「一応打ち上げってものがあってね」
そうメイコが言うので、近くのホテルに行くことになった。
打ち上げはそのホテルの広間を借りてやるらしい。荷物を借りた部屋に置いて、四人揃って広間に入ると、何故か照明が落とされた広間のなかで、入り口、つまりミクたちが立っている所だけがライトで照らされている。
司会らしき人物がエコーのきいたマイクで喋る。
「本日の主役の登場です!みなさん拍手でお迎えください!」
言葉どおり、部屋にいた数十人が一斉に拍手をし始めると、明かりがついて会場を見渡す事ができた。
真正面の壇の天井から、吊り下げられている板の文字を見て、ミクは驚いた。
曰く、‘初音ミク誕生日会’。
「ミクちゃん誕生日おめでとう!」
「メイコ姉さん、打ち上げって言って……」
「ごめん、嘘よ。大丈夫、ちゃんとした打ち上げは後日あるから。しかし人集まりすぎね、飲みたいだけじゃないかしら」
メイコは苦笑している。
リンとレンも文字を見て、まわりと一緒に拍手して祝う。
「おめでとうミク姉!」
双子らしく二人の声が重なった。
ミクはどうしていいかわからなくて、ただ立っている。するとメイコがミクの手をとって壇の方へ誘った。
状況を認識できないミクはただ手を引かれて壇上に立つ。
そして、拍手する人を見て、やっと思考が戻ってきた。
「あ……ありがとうございます」
さしあたりそれしか言えなくて、妙な沈黙が降りる。すかさず司会がフォローをするのを見て、レンとリンはプロだなぁと関心した。
「さて、ミクちゃんにはろうそくの火を消していただいて、食すのは我々、と」
「あ、ひどいですそれ!私も食べます!」
ミクが軽く抗議するとドッと笑いが沸き起こる。
「というわけで、ご来場の皆様にいきわたるように、本日ご用意したのはこちらの某有名店の特注サイズショートケーキです!」
そう言って出てきたのは、おおよそケーキとは思えないようなサイズの物体だった。白いホイップクリームの上に苺があしらわれているが、美味しそうに見える以前にそのサイズに躊躇する、そんなケーキだ。
ケーキの上には火のついたろうそくが16本並んでいる。ミクの容姿年齢に合わせたものだろう。
「では息を吹きかけて貰いましょう。ミュージックスタート」
掛け声と共にピアノの伴奏がどこからともなく流れてくる。
曲目に気がついたメイコが歌い始めると、まわりもそれにならった。ボーカロイドであるメイコとリンとレンの歌声はよく通り、ミクにその思いのままに届く。
Happy birthday to you,
Happy birthday to you,
Happy birthday, dear MIKU,
Happy birthday to you
「おめでとー!」
歌が終わると共に勢い良く息を吹きかけると、ろうそくの炎は揺いで消えた。
後はめいめいが喋ったり食べたりという立食パーティとなった。もちろんケーキも配られた。
ミクは主役とあってなかなか人の輪から抜け出せない。メイコやリンやレンも話しかけられたりいじられたりと忙しい限りだ。
そんな中、ひそかに遅れてきた人物がいた。研究所所員の新井である。
新井は輪を抜け出せず少し疲れ気味な様子で話すミクに近づくと、おめでとうと言って花束を渡した。
「わ、ありがとうございます。どうしたんですか?」
「プレゼントくらい用意してるわよ。メイコたちも……あ、オフレコなの?帰った後で?それはごめんねえ」
わざとなのかうっかりなのか、メイコたちのサプライズをバラしつつ、新井は笑った。
「新井さん、どうしたんですか?」
なんとなく違和を感じて、ミクは新井の顔を良く見る。原因はすぐにわかった。目と鼻が赤くなっているのだ。朝会った時には元気そうだったし目も普通だった。
(泣いてた?)
そんな気がしたが、新井は大丈夫よ、と言って、携帯電話を取り出す。
ミクが受け取ると、発信ボタンを押せばすぐに掛かる画面になっていた。相手は研究所に居るはずの山田博士だ。
「電話してあげて」
新井に言われてミクは発信ボタンを押す。数コールで電話が繋がる音。向こうでは博士の声がした。
「ミクだね、お誕生日……起動一周年、おめでとう」
「はい、ありがとうございます」
「ミクが生まれてから僕らを取り巻く状況も随分と変わった。色々あったけど、ミクの明るさ、元気さ、やさしさに助けられた。感謝してるよ」
「はい」
「本当に、感謝している。これからも元気にがんばって欲しい。もちろん、メイコも、リンも、レンもだよ」
博士は、深く、深く、響く声で言った。何かをなぞるように。
「……博士、何かあったんですか?なんか、いつもの博士と、違います」
ミクが心配そうな声で聞くと、博士はため息をついた。
「そうだね。ちょっと、ミクたちが原因じゃないけど、ショックなことがあったから……」
「え、ええと、よくわかりませんけど、大丈夫ですよ!私たちがついてますから!」
ミクは努めて明るい声を出す。博士は力なく笑うと、ありがとうとささやいた。
理由を話してくれないだろうかと数十秒待つが、沈黙するままだ。ミクは、話題を変えることにした。
「そういえば、カイトさんは?今日は朝からデータ取りって話でしたけど」
「あ、うん。……今は眠ってる」
「そうですか、じゃあ起こさないほうがいいですね。プレゼントは今度ねだっちゃいます」
「それがいいよ。きっと喜んで祝ってくれる。じゃあ新井君に通信費かけさせたくないから、この辺で。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
電話はそれで切れた。携帯を新井に返すと、ミクはメイコとリンとレンに近づく。
「みんな、ごはん食べれてる?」
「ミク姉、これおいひいひょ」
「リン、食べながら喋るな」
「レンもリンも好きなものばっかり選ばないようにね。ミクもネギ以外も食べなさい」
「食べてるよー」
ミクは小さく抗議しながら大皿からネギを取る。
その様子を見て、メイコは苦笑しながらため息をついた。
メイコは、どこか悲しそうだった。
次:青空の下
リラックスしなきゃと膝に乗せた手を握り、何度も深呼吸する。突然肩に誰かの手が乗せられて、周りが見えていなかったリンはひゃあと声を上げた。
「リンちゃん、リラックス!」
「……む、無理だよー」
にこやかにリンを勇気付けようとミクは肩を叩く。
ミクは売れっ子アイドルだから慣れているのか、緊張しているようには見えない。リンが羨ましそうに見ると、私だって緊張してるよとミクは言った。
「適度に緊張感がないと困るしね。へにょへにょになってる時って、歌詞がある場所がわからなくなるの。さあ二番!って思ったら頭真っ白になったときはどうしようかと思ったわ」
ボーカロイドの歌データを保存している部分は、作りが繊細なためか、たまに妙な作動をする。歌詞を忘れたり、メロディを忘れたりするのだ。人間らしいと言えるかもしれないが、機械なのに人間らしいなんて、とリンは常々思っている。
リンたちは知らないが、カイトが歌えなくなった原因は、精神制御のために導入されたセーフティがその部分にロックを掛けた為だ。セーフティはそもそもカイトの生みの親で、自殺した博士が設計したものであり、ロックは意図的だったのかもしれないと、個人的にセーフティの解析をしていた者たちは言う。セーフティは未だ機能の全貌が掴めないブラックボックスであった。
セーフティを基に作られた制御装置を持つリンは、特に機能障害が出ることもなく今日この場所に居る。ライブ会場の控え室に。
「ああどうしよう、間違えちゃったりしたら」
「大丈夫大丈夫。失敗したときのことを考えるからダメなんだよ、もっと楽しいこととか、嬉しくなるようなこと考えなきゃ」
「……昨日のカイにぃの歌、すごく嬉しかった」
「リンちゃんすっごい喜びようだったもんね」
「だってもう聞けないって思ってたんだもん。ミク姉もそうでしょ?」
「確かに、私もそう思ってたから驚いた。いつ歌うたえるようになったんだろう」
「最近の検査はそのためだったのかな」
「そうなのかもね」
ミクはそう言って、よかったねと笑う。カイトが歌えるようになったなら、テープを伸ばした罪悪感に潰される事もなくなるだろうと思ったからだ。
今なら理由が聞ける気がして、なるべく優しく聞こえるような声でリンに聞く。
「ねえリンちゃん、どうしてあのテープ、聞けなくしちゃったの?」
リンは少し考えるように空中に目を泳がせると、うーんと唸りながら答えた。
「……私があれを聞いて、カイにぃ辛いんだって思ってカイにぃと一緒にいるのはダメだと思ったの。それだとカイにぃはもっと辛くなるんだって。わたしだってライブで歌ったりするようになったんだもん、もっとちゃんとしないと……あのテープがあると、きっと無意識に寄っかかっちゃうから」
語るリンの表情は静かで、なにか遠くのものを見つめるようだった。
その様子を見守るミクはリンが成長した事を理解した。彼女は自分の中の弱さを見つめたのだ。
それで他人のものを壊すのはどうかと思ったが、考えてみれば当人であるカイト自身があのテープを重く感じているようなのだ。それなら、リンの行動はリンにとってもカイトにとってもいいことだったのだろう。
「でもレンには悪い事しちゃったかも」
「あのあと話したんじゃないの?」
「実は、全然。追っかけてはきたけど、何も言ってこなかった」
(何も言わなかったということは、レンくんはリンちゃんの気持ちが分かってたのかもしれない。なんだかんだと言って双子だし)
「気になるなら、レンくんに聞けばいいんじゃない?素直に話せばわかってくれるよ」
「……うん」
リンがうなづくと、控え室の扉が開いて、メイコとレンが入ってくる。噂をすればなんとやらだなとミクは思った。
「そろそろ用意しなさい」
「はーい」
ミクはそう言うと、机の上に置いてあった冊子を読み始める。段取りの確認だ。
すると扉をノックする音がした。
「メイコさん、研究所のほうから電話ですよ」
「わかったわ。なにかしら……」
メイコは電話を取るため部屋を出て行く。アンドロイドは携帯電話を持てないため、こういう場合の連絡方法は施設に備え付けられた電話を使ったものになる。
「レン」
リンが呼んだ。レンはメイコが出て行った扉のほうを見ていてリンの方に意識がいっていなかったから、突然呼ばれたことに大層驚いた。何と聞き返す声に動揺の色が混じっている。
「……あの、その、ご……ごめんね」
突然謝られたレンは何がなにやらと言いたげな顔だ。
「はぁ?何の話」
「前の……カイにぃの」
それでピンときたらしい。レンは、ああ……と、うなづくと、バカだなぁと言うように苦笑した。
「オレは別に。つーかあれカイトのだし、カイトが気にしてないならいいんじゃないの。そもそもの所有者は田中博士だけど、リンが貰ったものだしな」
「わたしじゃなくてわたしたちが貰ったものだよ」
「そうかもしれないけど、リンにとってああすることが必要だったんだろ。リンの為になったならそれでいいよ」
レンは本当に気にしていないようだ。
「ね、大丈夫だったでしょう」
横でその様子を見ていたミクがリンに声をかける。
リンは安心した顔で、レンにありがとうと言った。すると、レンは顔を真っ赤にして、ミクと同じく冊子を読み始める。完全に照れ隠しだ。
それがおかしくて、リンとミクは小さく笑う。本当に楽しそうに笑う。
レンはそれで更に恥ずかしくなって、二人に抗議した。その抗議の仕方がかわいく見えて二人とも更に笑いだす。
メイコが部屋に戻ってきたときには、茹で上がったように真っ赤になりながら怒るレンと、その横でミクとリンはおなかを抱えて笑い転げていた。
二曲歌い終わって、興奮が収まらない。
上下する胸を押さえてリンは周りを見回した。
歓声が聞こえる。ステージから見える人、人、人。一階、二階、三階まで、沢山の人がいる。すごいと思った。こんなにも沢山の人が聞きにくるなんて思っていなかった。
そして、無名のボーカロイドであるリンとレンの歌を聞いて声を上げた人々がいた。
(ミク姉とメイコ姉の歌を聞きにきたのに、私やレンの歌を聞いても手を叩いて、腕を突き上げて……。なんて嬉しい事なんだろう。これが、これが、他人の前で歌うってことなんだ!)
ありがとうを何万回言っても足りない、この言葉をどう伝えればいいんだろう。
リンは思いを込めて深く礼をする。 レンもほぼ同時に頭を下げる。長く、長く。
後ろではスタッフが次の曲の用意をしている。その間、ミクとメイコが話をして間を持たすという段取りだった。
段取り通り、ミクとメイコは観客に向かって話し出す。
「みんなー、妹と弟の歌を聞いてくれてありがとう!」
「いつ間違えるかヒヤヒヤしたわ。でも何とかなったみたいで嬉しい。盛り上げてくれた皆さんのおかげです」
「ほんとほんと、ありがとう!……それで、今日この二人が歌うのは次で最後なんだけど……うん、もっと!って思うよね。この二人が正式にデビューしたときに聞いてくれるとうれしいなーなんて。私からのお願いです」
「私もお願いするわ」
「というわけで、次で四人で歌うのは最後です。……次の曲は、私たちの為に作られた曲であり、私たちに贈られた曲であり、私たちが贈る曲でもあります。とても気に入っている曲です……聞いてください」
ミクが告げるとワッと歓声が広がる。
ライトが全部消えると、歓声も静まって、すっと音が消える。歌を会場にいる者たち全てが待つように。
シンバルのタイミングを計る音にあわせて曲が始まると、照明が踊りだすようにまわる。
客席から数え切れないほどのライトと、多くの熱狂。
歌がマイクを通って伝わると、意味のある歌詞になって人々の耳に届く。
それは出会えた喜びを、嬉しさを、そして希望をうたう歌。
喜びが、そして希望が伝わるように思いをこめる。聞いている人に、何よりここにいない彼に聞こえるように。
ミクたちには、自然とここにいないはずの彼の声が聞こえてきた。昨日の歌、昨日の声が、頭の中で再生される。それが歌う力をくれているのだと、示し合わせもなくミクたちは思った。
間奏、観客にはそう聞こえるだろう。けれどミクたちにははっきりと、五つ目の声が聞こえていた。
五つの歌声が和音を奏でて広がり、消えた。
曲が終わると四人のボーカロイドが舞台袖に向かって歩きながら手を振り、観客はそれに声と全身の行動を使って応えている。
その光景の中、二つの影が会場をひそかに抜け出した。
「最後まで聞かなくていいのかよ」
会場から駅までの道を歩きながら、黒い髪の平凡な男は、無言で先を歩く影を呼び止める。
スポーツキャップを被っていた青い瞳の男は振り返ると、早く行きましょうといった。
「先程のが最後の曲ですよ」
「まだありそうだったけど」
「でも最後なんです」
やけにハッキリと言ったものだから、黒い髪の男はそれ以上追求できなくなった。彼がそうだと言うならそうなのだろう。
「楽しかったか?」
「さて、思う事は色々とありますが、とりあえず、兄弟たちが歌っているところを見れてよかったですよ」
彼はそう言ったあと、夜空に光る星を見上げる。さようならの呟きはとても小さいものだった。
メンテナンス室の前の廊下には、ボーカロイドたちからは博士と呼ばれている彼が座り込んでいる。
彼はうな垂れながら考える。研究者としても、保護者としても、手を尽くした。やる事をやってもそうなったなら、それが運命だったのだろうと。
ふと顔をあげると、真正面の窓から星が見える。
歌う声たちが、聞こえた気がした。
ライブの後、突然メイコが今日はホテルに泊まると言い出した。
控え室で、帰る気マンマンで支度していたミクたちは驚いて聞き返す。
「一応打ち上げってものがあってね」
そうメイコが言うので、近くのホテルに行くことになった。
打ち上げはそのホテルの広間を借りてやるらしい。荷物を借りた部屋に置いて、四人揃って広間に入ると、何故か照明が落とされた広間のなかで、入り口、つまりミクたちが立っている所だけがライトで照らされている。
司会らしき人物がエコーのきいたマイクで喋る。
「本日の主役の登場です!みなさん拍手でお迎えください!」
言葉どおり、部屋にいた数十人が一斉に拍手をし始めると、明かりがついて会場を見渡す事ができた。
真正面の壇の天井から、吊り下げられている板の文字を見て、ミクは驚いた。
曰く、‘初音ミク誕生日会’。
「ミクちゃん誕生日おめでとう!」
「メイコ姉さん、打ち上げって言って……」
「ごめん、嘘よ。大丈夫、ちゃんとした打ち上げは後日あるから。しかし人集まりすぎね、飲みたいだけじゃないかしら」
メイコは苦笑している。
リンとレンも文字を見て、まわりと一緒に拍手して祝う。
「おめでとうミク姉!」
双子らしく二人の声が重なった。
ミクはどうしていいかわからなくて、ただ立っている。するとメイコがミクの手をとって壇の方へ誘った。
状況を認識できないミクはただ手を引かれて壇上に立つ。
そして、拍手する人を見て、やっと思考が戻ってきた。
「あ……ありがとうございます」
さしあたりそれしか言えなくて、妙な沈黙が降りる。すかさず司会がフォローをするのを見て、レンとリンはプロだなぁと関心した。
「さて、ミクちゃんにはろうそくの火を消していただいて、食すのは我々、と」
「あ、ひどいですそれ!私も食べます!」
ミクが軽く抗議するとドッと笑いが沸き起こる。
「というわけで、ご来場の皆様にいきわたるように、本日ご用意したのはこちらの某有名店の特注サイズショートケーキです!」
そう言って出てきたのは、おおよそケーキとは思えないようなサイズの物体だった。白いホイップクリームの上に苺があしらわれているが、美味しそうに見える以前にそのサイズに躊躇する、そんなケーキだ。
ケーキの上には火のついたろうそくが16本並んでいる。ミクの容姿年齢に合わせたものだろう。
「では息を吹きかけて貰いましょう。ミュージックスタート」
掛け声と共にピアノの伴奏がどこからともなく流れてくる。
曲目に気がついたメイコが歌い始めると、まわりもそれにならった。ボーカロイドであるメイコとリンとレンの歌声はよく通り、ミクにその思いのままに届く。
Happy birthday to you,
Happy birthday to you,
Happy birthday, dear MIKU,
Happy birthday to you
「おめでとー!」
歌が終わると共に勢い良く息を吹きかけると、ろうそくの炎は揺いで消えた。
後はめいめいが喋ったり食べたりという立食パーティとなった。もちろんケーキも配られた。
ミクは主役とあってなかなか人の輪から抜け出せない。メイコやリンやレンも話しかけられたりいじられたりと忙しい限りだ。
そんな中、ひそかに遅れてきた人物がいた。研究所所員の新井である。
新井は輪を抜け出せず少し疲れ気味な様子で話すミクに近づくと、おめでとうと言って花束を渡した。
「わ、ありがとうございます。どうしたんですか?」
「プレゼントくらい用意してるわよ。メイコたちも……あ、オフレコなの?帰った後で?それはごめんねえ」
わざとなのかうっかりなのか、メイコたちのサプライズをバラしつつ、新井は笑った。
「新井さん、どうしたんですか?」
なんとなく違和を感じて、ミクは新井の顔を良く見る。原因はすぐにわかった。目と鼻が赤くなっているのだ。朝会った時には元気そうだったし目も普通だった。
(泣いてた?)
そんな気がしたが、新井は大丈夫よ、と言って、携帯電話を取り出す。
ミクが受け取ると、発信ボタンを押せばすぐに掛かる画面になっていた。相手は研究所に居るはずの山田博士だ。
「電話してあげて」
新井に言われてミクは発信ボタンを押す。数コールで電話が繋がる音。向こうでは博士の声がした。
「ミクだね、お誕生日……起動一周年、おめでとう」
「はい、ありがとうございます」
「ミクが生まれてから僕らを取り巻く状況も随分と変わった。色々あったけど、ミクの明るさ、元気さ、やさしさに助けられた。感謝してるよ」
「はい」
「本当に、感謝している。これからも元気にがんばって欲しい。もちろん、メイコも、リンも、レンもだよ」
博士は、深く、深く、響く声で言った。何かをなぞるように。
「……博士、何かあったんですか?なんか、いつもの博士と、違います」
ミクが心配そうな声で聞くと、博士はため息をついた。
「そうだね。ちょっと、ミクたちが原因じゃないけど、ショックなことがあったから……」
「え、ええと、よくわかりませんけど、大丈夫ですよ!私たちがついてますから!」
ミクは努めて明るい声を出す。博士は力なく笑うと、ありがとうとささやいた。
理由を話してくれないだろうかと数十秒待つが、沈黙するままだ。ミクは、話題を変えることにした。
「そういえば、カイトさんは?今日は朝からデータ取りって話でしたけど」
「あ、うん。……今は眠ってる」
「そうですか、じゃあ起こさないほうがいいですね。プレゼントは今度ねだっちゃいます」
「それがいいよ。きっと喜んで祝ってくれる。じゃあ新井君に通信費かけさせたくないから、この辺で。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
電話はそれで切れた。携帯を新井に返すと、ミクはメイコとリンとレンに近づく。
「みんな、ごはん食べれてる?」
「ミク姉、これおいひいひょ」
「リン、食べながら喋るな」
「レンもリンも好きなものばっかり選ばないようにね。ミクもネギ以外も食べなさい」
「食べてるよー」
ミクは小さく抗議しながら大皿からネギを取る。
その様子を見て、メイコは苦笑しながらため息をついた。
メイコは、どこか悲しそうだった。
次:青空の下
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