一話で収まるかなと思ったらそんなことなかった。
宙を漂うような気持ちよさだ。暖かな感触との別れが来ない事を祈りながら、夢心地を満喫する。
「……リン、リン」
「……もっと……あと10分……」
「リン、リン、今日は朝からリハーサルなんだから。ほら、起きないと」
「うう……あと5分……」
リンの意志は強固であり、ある意味弱かった。夢から覚めたくないと、現実世界から伸ばされる手を振り払う。もちろん、リンの悪意はない。彼女はただ、この睡眠欲を満たしたいのだ。
「もう、仕方ないなあ」
手を払われたカイトは思わず苦笑した。そして、リンを包んでいた掛け布団ごと持ち上げ、胸の前あたりで寝かせるように抱き上げた。
リンはそれでも起きない。すうすうと寝息を立てる。安らかで満足そうな笑顔を浮かべながら、未だ夢の中だ。
カイトは微笑むと、リンを抱えたまま歩き始めた。
冬は日が出てくるのが遅い。そのため、まだ太陽の光は少しもない。
研究所の門の前で車に寄りかかっていたメイコはカイトとリンを見ると、来たわねと言った。カイトが抱き上げていたリンをワゴン車の二列目に乗せると、その横にメイコが乗る。後ろのシートには殆ど寝ている状態のレンと、寝ぼけまなこでレンの髪を整えるミクの姿があった。
運転席には山田博士がスタンバイしている。後ろの席の様子をミラー越しに確かめると、エンジンキーをまわした。何かを呼び起こすように車が震え、エンジンが勢いよくかかった。
「メイコはリンの服、用意してねー。ミクはレンをよろしくぅ」
「はあい」
「ミクも髪と服、ちゃんとしなさい」
ぼんやりと返事をしたミクにメイコが注意する。
東から少しだけ紫色の空が見え始めた。夜明け前、そろそろ出発の時間だ。
助手席のドアが開いて、カイトが乗った。シートベルトを少し探すように手を動かして、見つけると恐る恐る受け口にはめる。その行動をみて博士がよしと小さく言う。
「カイトさんも来るの?」
ミクが驚いて言った。帰ってきてからも、その前も、カイトが外出する事は少なかったし、車で長距離移動することも殆どなかったからだ。何かあるのだろうか。
「来たら駄目かな」
「だ、ダメじゃない!そうじゃなくて、外出ても大丈夫なのかなって思って」
ミクが慌てて両手を左右に振ると、博士が顔を出して答えた。
「僕以外は年末年始帰省するって言うし、連れ出す以外にないんだよねぇ」
ボーカロイドたちの仕事で、時間の長くなるものは所員が着いて行くことになっている。普段はその間誰かしら研究所にいるのだが、年末年始の休みはそうもいかなかった。要するに、博士はミクたちの付き添いに行かなければならず、しかも留守番の研究員を確保できなかったため、カイトの扱いに困ってしまったのだ。そして結局博士が面倒を見ることになった。
「色々やる事あるし、あんまよくないんだけどねぇ、仕方ないね~」
おちゃらけた言い方だ。博士は悪意も誰かを責める気もなかったが、カイトは違う風に取ったようだった。
「戻って来なかったほうがよかったですよね。サンタ衣装もないし」
カイトは真面目な声で言う。窓の外を見ているため、博士からは顔が見えない。
「そんな事ないよ」
まずったなぁと博士は思った。あまりに真面目な声で言うのでさすがに冗談には聞こえない。運転席と助手席の周りの空気は鉛が混ざったように重苦しくなっている。
「カイトさん、早く帰ってきてくれて嬉しかったんだから、そんな事言わないでよ」
高く独特の声でそんなことを言ったのはミクだ。怒っているというよりは拗ねた態度だ。ほほを膨らませる姿もかわいらしい。彼女の声と容姿が女の子らしくてファンになる人間も多い。
カイトは少し間を置いたあと、ごめんねと謝った。すると、黙っていたメイコがカラカラと笑いだした。
「カイト、あんまり冗談言うんじゃないわよ。博士もミクも本気で取っちゃうんだから」
冗談という一言にミクはキョトンとしている。
メイコは本当におかしそうに笑っていた。冬の晴れた日の空気のごとく全く湿り気がない。
そんなメイコだが、カイトがの言葉冗談でなかったことに気が付いていた。曲りなりとも兄弟だ。冗談言うなとは言ったものの、彼女としても彼の言葉で嫌な気分になっていた。しかし、今真面目に怒ったとしても持ち前の自虐性が直ったりはしないだろう。
帰ってきてから少ししかなかった会話する機会の中で、わかったことの一つが、カイトがあまりにも変わっていないということだ。自虐的なところも、少しどころでなく抜けているのも変わっていない。生来のものだとしたら、なんて面倒な設計をしたのだろう。もっと明るい人格にすればいいのにとメイコはうんざりしている。カイトが嫌いというわけではない。
意味のないことをするよりはマシだと、他の兄弟たちと博士に対するフォローをすることにした。そのうち奴にはみっちり説教してやろうと決意を固めて、ミクを慰める。
「ミク、気にしなくていいのよ。大体、カイトの冗談はわかり辛いんだから」
手厳しいことを言われてカイトは後ろの席の方にばつの悪そうな顔を出した。
「はは、うん、ごめん。博士もすみません」
「……もう、カイトさんったら!」
顔を赤くしながらミクは少し怒る。むしろ拗ねていると言うような態度だ。ただ、かわいいと評判の声と顔で言われても、微笑ましいだけなので、メイコは更に笑い出し、カイトは本当に困った顔をして再度謝っている。
その会話を聞いていた博士は心の中で少し安心して、同時に少し反省しながらこめかみを押さえて思考する。
(この程度察しないと。だめだなぁ)
そう考えた後ハンドルを握ってアクセルを踏む。乗っていた車は音を立てて進み始めた。
発進した車は少しだけ明けはじめた空を背景に街を行く。辺りは人気もなければ自動車もない。静かなものだ。
予定では二時間半かけて番組の収録現場に行く。夜に年末恒例の音楽番組があり、メイコとミク、それにリンとレンがお供として出演することになっていた。番組の構成などは事前に決められているが、リハーサルなしは無謀である。そのため、朝からあるリハーサルには間に合うように研究所を出たわけであった。
車内では、メイコが寝ぼけているリンを着替えさせている。リンはまだ寝ているようで、成すがままの状態であった。
ミクは先ほどの件で未だに唇を尖らせており、やっと覚醒しだしたレンがミクの様子に困惑しながら居心地悪そうにしている。
カイトが車の中にいることも気になったが、すぐさま昨日聞いた新井の言葉を思い出して納得する。曰く、年末は博士以外研究所に居ない。
レンはカイトに聞きたいことがあった。例えば今までどうしていたのだとか、なぜ突然いなくなったのかだとか。
まだ何も聞けていない。帰ってきたタイミングが妙だったせいで、機会を逃していた。今話かけられるかもしれないが、できれば二人きりの時にしたい。周りに目がある中で、ぶしつけにどこにいたんだなどとは聞けない。いや、もしかしたら今聞くべきかもな、どうしようか、それとも……。
ため息をつく。そして、なんでこんなに居心地が悪いんだと身をよじって座りなおした。
居心地悪くした張本人であるカイトは、猛反省中だ。
別に空気を悪くしたくて言ったわけではない。元々半分は冗談だ。ただし、あと半分は本音で、しかし、もっとさらりと流されると思っていた。少なくとも、開発部だとそうなる。開発では彼の言葉を聞く人間は少ない。だから、思わぬ反応に虚を突かれた。研究所は勝手が違うということを忘れていた。
大体、聞く人間が多ければ、メイコに助けを求めてメモを渡すような真似はしないだろう。まわりくどいやり方だったと本人も思っている。もし聞いてくれる人がいるとすれば、今はほとんど会えない元担当である田中博士と……いや、それくらいだ。我ながら社交性が皆無だなとカイトは内心苦笑するだけだ。
寒さをシャットダウンした車内から明るくなる空の色を見る。きれいなものだとカイトは思った。
そして予定より早く、二時間ほどで目的地に着いた。
収録現場となるのは大きめのイベント会場で、ここで歌手がそろってライブをする。ボーカロイドたちも目玉の一つとして中盤と後半の間あたりに出番がある。その時点まで出番がないのはリハーサルも同じだが、挨拶回りをしたりとなかなか仕事がある。それに、ほかの出演者の歌を聞いておくのもまた仕事だ。
まだリハーサル開始まで時間がある。控室の場所を確認した一行は、ロビーで朝食をとることにした。
ひっそりと朝早くに作った大きな弁当箱を開けてみんなでつつく。まるで野球場で弁当を広げる家族連れであった。あながち間違ってはいないのかもしれない。
ようやく睡魔に打ち勝ったリンはカイトと話せるというのがうれしいらしく、ずいぶんとはしゃいでいる。レンは楽しそうに会話する二人を眺めながら自動販売機で買ったペットボトル入りのお茶を啜った。味も匂いもあまりない。食べ物を飲み込む一助程度にしかならないだろう。
「カイトにぃはここ来るの初めてだよね。後で案内するね、わたし何度か来てるからわかるし」
「リンちゃん、そんな時間ないよ。出番までやることあるから」
ミクがお姉さんらしい口調で言う。リンはむっとしたが、ミクの言うとおりではあったので、強くは言い返せない。それを見たカイトが隣の席に座るリンの頭をなでる。
「心遣いだけ受け取っておくよ。ありがとう」
慰められたが、リンはやはり消沈してしまった。頭の上の白いリボンも萎れているように見えるのは気のせいだろうか。別段連動機能などはないはずだけどと、レンがぼんやり考えていると、メイコが助け船を出した。
「リハが終わってから少し時間があるから、その時でいいんじゃないかしら。沢山は回れないけど、少しなら大丈夫でしょ。社会科見学みたいなものだし、ねぇ」
「だねぇ。その辺のスタッフに確認取れば見て回れると思うよ。たぶんだけど~」
「うんー……」
しょぼくれていたリンが少しだけ元気を取り戻す。扱いを心得ているメイコ姉はさすがだとレンは感嘆した。こういう場合のフォローは自分の仕事なのに、何もしなかったのを後悔したが、タイミングがなかったのだから仕方ない。
大体食べ終わると、全員が立ち上がる。とりあえずほかの出演者に挨拶をしようというわけだ。
ボーカロイドを売り込むためだが、同時に厄介事を起こさないための処世術でもある。ボーカロイドだけでは適当にあしらわれることもあるので博士も同行する。研究所に住んでいるだけではそう見えないが、アンドロイドだというだけで敵意を向ける人間は多い。ただ彼らは怖いだけかもしれないが、だからと言って壊されては困るし、アンドロイドが傷つくような事態を避けたい。
「カイトはどうする?」
一緒に行くんだと思っていたレンたちは驚いた。その表情で驚いた理由がわかったのか、カイトは僕は見学者だからねと笑う。レンから見れば胡散臭い笑みだ。こういう隠すような顔で笑うのはやめてほしい。
「ここで待っています」
笑顔のままそう言ったので、カイトをロビーに残して他は挨拶に出た。人の多いところなら大事も起こらないだろうと博士は考えたのだ。
ロビーにある長椅子に座っているカイトは、時計を見た。たぶん三十分くらいで戻ってくるだろう。それまでここで時間をつぶせばいい。ひとりで何もせずにいるのは慣れている。
都会に出てきた田舎者のようにキョロキョロとあたりを見回した。目新しいものが多い。さっきから気になるものもいくらかある。ここから遠くに行かなければ大丈夫だろうとたかを括って席を立った。
貼られたポスターや観葉植物、ラックに入れられた何かのパンフレット。うろうろと見て回る。たびたび通りかかるスタッフは忙しそうに素通りし、カイトの行動など見ていない。まあ、普通はそうだろう、そんなものだ。通路を台車が通る。けたたましく響く車輪の音と前方に注意を呼びかける声が目の前を通り過ぎた。
台車とそれを押す人間の影の後を見ながら、ふうんと彼は小さく唸った。別に何かに気がついただとかそういうわけではなく、なんとなく出てしまった。足元を少しみて、首をひねる。
(こんなところで何やってるんだろう)
研究所の都合でこんなところに来たけれど、一体全体自分はここで何をやっているのか。
修理された自分に課せられたことは、‘ただ研究所にいること’だけだ。この先、多少実験に付き合うこともあるようだが、基本的にはその使命を果たすことになる。
(研究所に僕が必要な理由はわかる。人間の集団でだって僕のような人材の有用性は認められる。人間は自分より弱い者がいると心理的に安定する。きっとアンドロイドだってそうだ。博士にその意図はないかもしれないが、本社は少なくともその効果を狙っているはず。それはわかるし、そうなるしかないのもわかるから、別に)
嫌ではない、とカイトは思った。
(でも)
なんでこんなところでぼうっとしていられるのか、自分自身の思考が腑に落ちない。
周りはみんな仕事、さて自分はと言えばここで立っているだけ。
多少熱処理の不具合は残っているが、大部分の部品の具合は良くなって、動けないわけではない。それなのに、ただただ突っ立っているだけなのは。
「……どうなんだろう」
深いため息が出た。
下げた視線が誰かの足元を映しているのに気がついて、カイトは顔を上げる。
そこには、まだ若い女性がベージュのコートに身を包み立っていた。
「ええと」
化粧は濃いが、不自然ではない。もともとかなり美人なのだろう。
どこかで見たことがあるような気がする。カイトは外部の人間とほとんど会ったことがないので、たぶんテレビで見たとかだろうか。
彼女は、明るい茶色のウェーブした髪を手で後ろにやると、出し抜けに言った。
「あなた、アンドロイドでしょ」
話しかけてきた女は、不機嫌そうな顔で、ものすごく棘のあるような声だった。
「ええ」
カイトは短く答えた。さすがに、こういう態度で声を掛けられたらこちらも相応の態度になる。
笑いもせず、ひたすら相手を注視していると、その相手は勝ち誇ったような顔で言う。
「やっぱりね。受付?」
「いいえ」
「じゃあボーカロイドでしょう」
「近いですが違います」
「ぽい感じなのに」
「まあ少ししか違いませんが、それが一番意味ある部分なので」
ふうん、と彼女は首を傾げる。
そして、カイトの目を見る。
「初音ミクって会ったことある?」
「ありますよ」
「それじゃさ、鏡音レンは?」
なぜそんなことを聞くんだろうと思いながら首肯した。
「そっかそっか。関係者なんだ、あんたは」
近くにある長椅子に無造作に腰かける。コートの合わせからちらりと見える服は派手で、ステージ衣装のように見えた。
どうやら、出演者らしい。
「番組に出るんですか」
カイトが聞くと、彼女は不敵な笑みで答える。
「そうよ。と言っても前座だけどね。最初のほうに出番があって、そのあとは何もなーし。持ってる時間も少ないし。ま、事務所とレコード会社が無理やり出番突っ込んだだけだから仕方ないね」
「前座」
「それに比べて鏡音レンなんて後半、盛り上がったところで投入よ。そりゃほかのボーカロイドと一緒とはいえ、扱いが違うわ。あー、うらやましー。なんなのこの差はぁ」
彼女は足をぶらぶらさせて言った。言うことは愚痴だが、表情は晴れ晴れとしている。
「レンと会ったことが?」
「この前、私的にね。初音ミクとは番組が一緒になったことがあんの。メイコとは方向性が違うからないけど」
メイコは完全に歌手路線であり、ミクはアイドル路線だからだろう。見たところ、彼女もアイドルとして売っている風だ。
カイトは、無性に反論したい気持ちになった。あるいは慰めたくなったのかもしれない。
「前座でも出れるだけましじゃないですか。かなり視聴者の多い番組だって聞いています」
「そりゃそうよ。何人蹴落としたと思ってるの。ここにいるんだから、それくらいわかってる。私はね、ボーカロイドの前座だってのが嫌なの。あいつらはそうなるように作られて、そうなるように動いてりゃあの場所まで行けるのよ。その上どれくらいの人間がそこを目指して潰れたか、全然わかっちゃいないんだから」
嫌になるわ、と彼女は眉根を寄せる。そしてカイトの方を見ると、コロリと笑顔に変えて言った。
「あんたも、出たら売れるわよ。顔整ってるし、やさしー感じだし。あと高い声って流行ってんの」
「はは。無理ですよ」
「どうして?お金無駄にしないようにするなら、売り出すでしょ」
自信ありげに言う。
カイトは苦味を覚えながら笑った。
「確かに僕はボーカロイドとして作られました。でも作られてすぐにいろいろあって、歌が歌えなくなったんです。今は直ってますが、その、もう使えるものじゃないんです」
「下手になることなんてあんの?」
「ないですね。機械ですから、リズムも音程も正確ですし。でも歌はそれだけじゃないでしょう」
「解釈による強弱、音同士のつなぎに切り方と消し方、意図的な音程とリズムの外し、呼吸の仕方、その他諸々。しがないアイドルの私でもこれくらいは知ってるわ」
「そういう蓄積がないんです。だから下手でもないですけど、上手くもない。経験の蓄積は結構時間が必要なんです。僕は最初の3年無駄にして、タイミングも逃しました。残り時間も少ないし……だからもう無理というわけです」
穏やかな喋り方でカイトが言うと、彼女は納得しない顔だが小さくうなずいた。
「そういうもんなんだ」
「人間もそういうものでしょう。時間制限がある」
「アンドロイドは時間制限なんてないと思ってた」
「ありますよ。部品の寿命だとか、規格変更だとかで廃棄なんてケースありますから。それと、流行り廃りの問題もあります」
「流行って廃るのも早いからね。うちの事務所も苦労してる。突然売れなくなるアイドルとかいるし、今まで使えてた芸人が全く受けなくなったり」
「作った頃には流行が終わってましたなんて製品にはよくあるでしょう」
「あるある。ブームが来て在庫切れたんで大量に作ったらすっごい余ったりしてんね」
ふたり、顔を見合せてると、どちらがともなく声を立てて笑い出した。
「なんかあんたさー、ボーカロイドの癖にサラリーマンみたい。マーケティング部門とか合いそう」
「さすがに転職はちょっと」
辺りに他の人はいない。やけに静かな中笑い声がロビーに響いた。
おかしさから出た涙を指でぬぐい、彼女は真面目な顔でカイトに言った。
「それなら尚更、あんたは歌ったほうがいいよ」
カイトは慰めなくていいよと口に出す。それでも彼女はその表情のままだった。
「……ボーカロイドはさ、ずっとまっすぐで、ねじ曲がったものがないんだ。そういうやつの歌をききたい人間はいる。現に、ファン多いし。まがったものは人間に求めてるだろうし」
的確な分析だ。そして、だからこそ出る幕がないとカイトは思う。
「だけど、曲がりくねったものを持ったボーカロイドもいていいはずだと私は思うよ。ニッチかも知れないけどさ。人間だってさ、色々いるんだよ。ならアンドロイドも色々いていいじゃん」
ね?と強く確認するように言った。
「今のところ、必要ないと思います。それに、好き勝手やれるわけじゃないんです。会社の都合があります」
「そーね。で、無理だって少しも歌わないわけね。あんたその感じだと個人的にも歌ったりもしてないでしょ」
「まあ。でも、ボーカロイドの中での役割は果たしてますから」
「役割って、ニート?引きこもり?」
「踏み台。必要でしょう、使えない存在というのは。僕はそういう存在として使用されると、会社がそう決めました。それは変えられません」
「あー……」
うんざりしたような顔で彼女は視線を逸らす。
言っていることはわかる。確かにそういう役割に納まる人間はいる。だが、それは自覚的にやるものではない。大体、自然発生するはずのものを人工的に配置するなんて気味が悪い。
彼女はプライドの高い人間だ。負けるのが許せないからここまで勝負をつづけられた。何度か負けたこともある。勝って、誰かを泣かせたりもした。だから、その役割の存在を知っている。知っているが、嫌いなのだ。ひどく嫌っている。全世界からそんな存在がなくなればいいと思っている。
ふつふつと、怒りが沸き起こってきた。義憤か、私憤か、それはわからない。
彼女の怒りなど露知らず、カイトはさびしそうに笑いながら言葉を続ける。
「だから、もう、歌うことなんて」
「ないって言って歌わなかったら、チャンスなんて来ない。きっといつかチャンスは来る。そん時逃したらもったいないし、作ったやつらもチャンスあったら喜ぶよ。むやみに悲しませたいわけ?違うでしょ」
鋭く睨みながら力強く言う。
「無駄とか無駄じゃないとか、意味がないとかあるとか、関係ない。あんたは歌うべきだ。……私は、あんたの歌を聞きたいよ」
悲しそうに瞳が揺れる。なぜだか彼女の方が泣きそうだ。同情じゃない。これは怒りだ。彼に対してではなく、その状況に対する怒り。
カイトは冷静なままだ。風のない湖面のように静かに、揺れるものもない。凍ってはいないが冷えた心が、怒りに震えて視界を滲ませる彼女をただ見ていた。
自分を外部から観察するような感覚に陥った。冷静というよりは冷徹で冷血なのだ。アンドロイドに血はないが、あったとしたらきっと冷え切っている。
少しだけ感謝する。同時に、他人の事情に対してなんでこんな感情を持てるのかが気になった。他人事なのに、彼女は悲しみと怒りを持って語りかけてきた、それがカイトには疑問に思った。奥底の羨望に気が付きもせず。
「……どうも」
カイトはそれだけしか返せなかった。なんてひどいやつだろうかと自分でも思う。こんな言葉しか出てこない。
彼女はカイトの様子を見て大仰にため息をつき、目尻に溜まった涙を拭う。何か言ってやりたい気持ちになった、だが何を言っていいかわからない。悔しい。このアンドロイドを救えない。
「あんたさ…………バカでしょ」
だからせめてもの意趣返しにそう言った。
言われたほうは苦笑する。そして、自覚もしていると心の中で呟いた。
「よく言われる」
「ホントのバカね」
顔をしかめて言い切った。
そして、今までの表情が嘘のような心底バカにした顔で、ふんっと鼻を鳴らした。
「バカなんだからバカらしくバカやってればいいの、バーカ!」
捨て台詞のように言って立ち上がる。そろそろ時間だとひとりごちると、カイトの顔を指さす。
「絶対、歌はやめないこと!あんた自身のために、歌はやめたらダメ!わかった!?」
どういう風に返せばいいのかわからない。ぽかんとした顔でカイトは真正面に突きつけられた指を見る。
彼女はまた大きなため息をつくと、じゃあねと言って歩き出した。
カイトはただ後姿を見送った。
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