『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』文章保管用ブログ。
Posted by ささら - 2009.10.22,Thu
むしろ紫。
時期は6月中旬。
それまで会った事がない事実の方が不思議だ。別の会社だが同じボーカロイドであり、二人とも程度の差はあれ、それぞれに活躍していたから、会う機会は早々あろうと思われたのだが、なぜだか今まで会った事がなかった。博士があえて会わせなかったのだと気が付いたのは後の話で、その時はやっと機会が巡ってきたのだとミクは大喜びであった。
何度か映像で見た事はあったものの、実際近くで見るのは初めてである。彼は白を基本とした服を着ていた。袴のような服の袖口は紫色があしらわれており、腰を押さえる紐も紫色である。その色は、髪の色そのままであり、多分彼のイメージカラーなのだ。深い青色のインナーとブーツは、うっすらと光彩を放っていた。
ミクの表情が、へにょっとした妙な笑顔に変わる。彼女は変な格好だと思った。アンドロイドの衣服というのは、人が着るのとそう変わらないものをあてがわれる事が多い。普段着は人間が着ているのと同じものを着用している時もあるので、一見してアンドロイドだとわからないなどと言う声もあるのだ。けれど彼は、彼の会社の意向なのだろうか、普通とは思えない衣装を纏っていた。衣装、衣服でなく衣装である。まるでファンタジー映画の勘違いサムライのようだと、彼が発表された時に語ったのは新井だ。事前の打ち合わせには、大抵の人物が私服で来るものだとミクは思っていたのだが、この日、そうでない人物もいるのだと、その目で確認し、目を丸くするしかなかった。
しかし、これから仕事をする相手である。印象良く見えるように、今日一番の笑顔で挨拶する。はっきりした声は、象牙色の壁に響き渡った。
「拙者、神威がくぽでござる。よろしく頼み申す」
服装も珍妙なら喋り方も珍妙だった。低い、何か威圧感さえ感じる掠れた声で発せられるござる口調は、番組用に作っているのだと思っていた。
(素の喋り方なのかぁ。元からこうなんて、変な設定にする会社。あ、でももしかして、うちの会社以外は、こんな風な口調を設定するのが普通なのかも?)
背筋に少しの寒気を感じた。自分の常識が、本当は非常識なのかもしれないという事に、言い知れぬ不安を感じたのだ。
(ルカちゃんもこんな気持ちだったのかな。いや、なんというか、緊迫度が違うけれど)
きっと近いんじゃないかなと、彼女は思った。
まったく関係のない事ばかり考えていたが、はっと気が付いて、彼に挨拶を返すために口を開く。
「神威、がく、ぽさん、よろしくお願いします!」
変な区切りになってしまったのは、ひとえにその名前が原因である。これも普通なのかなと、笑顔の内側で考えながら、しますの声で勢い良くお辞儀をした。
しかし、ミクの考えていた事など、彼はすっかりお見通しであった。
「珍妙な名前でござろう。名付け主は冗談を好むにて。我が原型ながら、型破りの感性を持っておられる」
目を伏せて言う彼に、彼女は恥ずかしさで頬を赤くした。
「え、あ、ユニークな人って、いいと思います」
下手な取り繕いも、彼にとってはなんでもないものであるらしい。典雅と思える笑みをたたえて頭を下げた。ミクは慌てた。失礼をしたのはこっちだ。
「そう申していただけると至極助かるでござる。この着物も奇天烈でござろう」
ミクは頷いてしまった。数瞬で、また失礼をしてしまった事に気が付いて、慌てふためく。すると、彼は慣れておると言い、手元にあったお茶に口をつけた。手に収まる大きさの茶碗の中では、落ち着いた緑色が、茶葉の欠片をくるくると回している。
「先達と共に仕事が出来て嬉しく思う。よろしく頼み申す」
「は、はいっ」
返事をしつつ、ミクの顔は真っ赤だ。恥ずかしさと、不興を買ってしまったのではないかとの心配に、顔色は簡単に影響を受けた。だが、心情を読んだかの如く、彼は大きく笑い、ミクの肩を叩いた。少し痛かったが、そう悪くは思われていない事の方が重要なため、持ち直した機嫌通りの表情を作った。
打ち合わせは数時間掛けて問題なく終わり、彼女は他の現場に足を運んでから、メイコとルカに合流して研究所に戻った。研究所には博士がいて、暖かく迎えてくれる。リンとレンは遅くなるらしい。
「カイト兄さんは?」
「用事でいないよぉ、今日は帰ってこないんじゃないかな」
その場にいた中で、用事の内容を知っていたのは、昨夜博士に話を聞いていたメイコだけだった。ミクとルカは、カイトが報酬は発生しないながらも仕事をはじめている事を知らない。
「ご飯はどうするの?」
「今日は出前でも取ろうかなと思うんだ。ミクは食い意地張ってるねぇ」
「張ってないよ」
恥ずかしそうに返す。ルカはその様子を声に出して笑う。最近わかってきた事だが、ルカは意外とシニカルな人格であるらしい。皮肉が多いのだ。
「ミク先輩、太っちゃいますよ」
「太らないよ!エネルギーの管理、しっかりしてるし、アンドロイドはほとんど太らないの!」
一般的に体型が変わらないと思われているアンドロイドだが、近年製造されたアンドロイドは特に、内臓のほとんどが人工の生体部品と機械を掛け合わせたものを使用しているため、内部の処理によっては太る事もあるのだ。ただし、太りにくいのは変わらない。今のルカは、完全にミクをからかっていた。
「それは、間食が多いと意味がないですよ?」
「お、多くないよ……最近は」
むーっと頬を膨らませたミクに、ルカはまた笑い声を上げた。ころころと鈴が転がるような声だ。いつもながら笑い声も上品である。
「じゃあ、どこに出前を頼むかは、食欲旺盛なミクに選んでもらおうかしらね」
「メイコ姉さんまで。そんなに食事の事ばっかり考えてないよー」
そんな会話で、和やかな夜は更けていく。
研究所の前に出前の車が止まるのとほぼ同時に、自慢の双子が帰ってきて、食べ物の量の多さに驚いていた。何でこんなに頼んだのとリンが聞くと、メイコは無言で不貞腐れているミクを指差す。リンとレンは、それを見ても疑問のマークを頭上に掲げていたが、匂いには勝てず、すぐに興味を料理の方へと移していった。
食事が終わり、今日の疲れと汚れをお湯で洗い流す。そして自室に戻り、それぞれのペースで明日の準備をして寝入ってしまうと、いつも通りの穏やかな沈黙を保つ真夜中が訪れた。
いつもと違うのは、真夜中に帰ってきた人物と、ふと目が覚めてしまった人物がいた事だけだった。
カイトが戻ってきたのは日付が変わってからであり、今日は帰ってこないという博士の言葉は本当だった。博士はその時間まで待っていて、ちょうどキッチンでコーヒーを調達していたタイミングだったため、リビングで今日の出来事を確認していた。
迂闊だったのは、あるいは考えが足りなかったのは、その時に誰かが起きていて、廊下にいるという事態を想定していなかった点であろう。
「そうそう変な事も起こらないよ。上層部はI社に関してナイーブすぎるんだ。ライバルだからなんだろうけど。でぇ、次のミクの仕事、カイト、付き合ってやってくれないかい」
「構いませんが、僕が行く理由はなんですか」
「簡単に言えば偵察任務ね。I社の新作ボーカロイドについてちょっと騙くらかしてでも探って欲しいんだってさ!」
扉の前に潜んでいたミクは、それを聞いてぞっとした。あっさり、明るい声で言ったのが、他人を騙す話しだったなんて。次の仕事といえば、今日打ち合わせのあった仕事の続きだ。じゃあ、騙すのはがくぽさんじゃないか。
保身が働いた。ミクは静かに、足音も立てずにそろりそろりと歩き出す。二階に上がると、彼女はため息をついた。
(どうしよう、明日、どうしよう!)
胸を押さえた。心臓が速度を上げている。いつ二人が二階に上がって来るかわからない。部屋に走って戻る。廊下に響く靴音さえ恐ろしくなった。
(早く寝ないと……でも、でも)
自室に入り後ろ手に扉を閉める。すぐに息苦しさを覚えて深呼吸を繰り返した。
一方その頃、博士とカイトは話の続きをしていた。
「探って欲しい、ですか」
カイトは苦い顔をする。さすがにスパイの真似事は気が引けるのだ。
そんな事はは博士も承知している。もちろん、嫌な思いを積極的にさせようとは思っていなかった。
「まあ適当に交流してきなさい。何もわかりませんでしたーごめんなさーいで大丈夫だから」
博士のあっけらかんとした言葉を彼女が聞けなかったのは、この場にいる全員にとっての不幸だった。
次:青と緑2
何度か映像で見た事はあったものの、実際近くで見るのは初めてである。彼は白を基本とした服を着ていた。袴のような服の袖口は紫色があしらわれており、腰を押さえる紐も紫色である。その色は、髪の色そのままであり、多分彼のイメージカラーなのだ。深い青色のインナーとブーツは、うっすらと光彩を放っていた。
ミクの表情が、へにょっとした妙な笑顔に変わる。彼女は変な格好だと思った。アンドロイドの衣服というのは、人が着るのとそう変わらないものをあてがわれる事が多い。普段着は人間が着ているのと同じものを着用している時もあるので、一見してアンドロイドだとわからないなどと言う声もあるのだ。けれど彼は、彼の会社の意向なのだろうか、普通とは思えない衣装を纏っていた。衣装、衣服でなく衣装である。まるでファンタジー映画の勘違いサムライのようだと、彼が発表された時に語ったのは新井だ。事前の打ち合わせには、大抵の人物が私服で来るものだとミクは思っていたのだが、この日、そうでない人物もいるのだと、その目で確認し、目を丸くするしかなかった。
しかし、これから仕事をする相手である。印象良く見えるように、今日一番の笑顔で挨拶する。はっきりした声は、象牙色の壁に響き渡った。
「拙者、神威がくぽでござる。よろしく頼み申す」
服装も珍妙なら喋り方も珍妙だった。低い、何か威圧感さえ感じる掠れた声で発せられるござる口調は、番組用に作っているのだと思っていた。
(素の喋り方なのかぁ。元からこうなんて、変な設定にする会社。あ、でももしかして、うちの会社以外は、こんな風な口調を設定するのが普通なのかも?)
背筋に少しの寒気を感じた。自分の常識が、本当は非常識なのかもしれないという事に、言い知れぬ不安を感じたのだ。
(ルカちゃんもこんな気持ちだったのかな。いや、なんというか、緊迫度が違うけれど)
きっと近いんじゃないかなと、彼女は思った。
まったく関係のない事ばかり考えていたが、はっと気が付いて、彼に挨拶を返すために口を開く。
「神威、がく、ぽさん、よろしくお願いします!」
変な区切りになってしまったのは、ひとえにその名前が原因である。これも普通なのかなと、笑顔の内側で考えながら、しますの声で勢い良くお辞儀をした。
しかし、ミクの考えていた事など、彼はすっかりお見通しであった。
「珍妙な名前でござろう。名付け主は冗談を好むにて。我が原型ながら、型破りの感性を持っておられる」
目を伏せて言う彼に、彼女は恥ずかしさで頬を赤くした。
「え、あ、ユニークな人って、いいと思います」
下手な取り繕いも、彼にとってはなんでもないものであるらしい。典雅と思える笑みをたたえて頭を下げた。ミクは慌てた。失礼をしたのはこっちだ。
「そう申していただけると至極助かるでござる。この着物も奇天烈でござろう」
ミクは頷いてしまった。数瞬で、また失礼をしてしまった事に気が付いて、慌てふためく。すると、彼は慣れておると言い、手元にあったお茶に口をつけた。手に収まる大きさの茶碗の中では、落ち着いた緑色が、茶葉の欠片をくるくると回している。
「先達と共に仕事が出来て嬉しく思う。よろしく頼み申す」
「は、はいっ」
返事をしつつ、ミクの顔は真っ赤だ。恥ずかしさと、不興を買ってしまったのではないかとの心配に、顔色は簡単に影響を受けた。だが、心情を読んだかの如く、彼は大きく笑い、ミクの肩を叩いた。少し痛かったが、そう悪くは思われていない事の方が重要なため、持ち直した機嫌通りの表情を作った。
打ち合わせは数時間掛けて問題なく終わり、彼女は他の現場に足を運んでから、メイコとルカに合流して研究所に戻った。研究所には博士がいて、暖かく迎えてくれる。リンとレンは遅くなるらしい。
「カイト兄さんは?」
「用事でいないよぉ、今日は帰ってこないんじゃないかな」
その場にいた中で、用事の内容を知っていたのは、昨夜博士に話を聞いていたメイコだけだった。ミクとルカは、カイトが報酬は発生しないながらも仕事をはじめている事を知らない。
「ご飯はどうするの?」
「今日は出前でも取ろうかなと思うんだ。ミクは食い意地張ってるねぇ」
「張ってないよ」
恥ずかしそうに返す。ルカはその様子を声に出して笑う。最近わかってきた事だが、ルカは意外とシニカルな人格であるらしい。皮肉が多いのだ。
「ミク先輩、太っちゃいますよ」
「太らないよ!エネルギーの管理、しっかりしてるし、アンドロイドはほとんど太らないの!」
一般的に体型が変わらないと思われているアンドロイドだが、近年製造されたアンドロイドは特に、内臓のほとんどが人工の生体部品と機械を掛け合わせたものを使用しているため、内部の処理によっては太る事もあるのだ。ただし、太りにくいのは変わらない。今のルカは、完全にミクをからかっていた。
「それは、間食が多いと意味がないですよ?」
「お、多くないよ……最近は」
むーっと頬を膨らませたミクに、ルカはまた笑い声を上げた。ころころと鈴が転がるような声だ。いつもながら笑い声も上品である。
「じゃあ、どこに出前を頼むかは、食欲旺盛なミクに選んでもらおうかしらね」
「メイコ姉さんまで。そんなに食事の事ばっかり考えてないよー」
そんな会話で、和やかな夜は更けていく。
研究所の前に出前の車が止まるのとほぼ同時に、自慢の双子が帰ってきて、食べ物の量の多さに驚いていた。何でこんなに頼んだのとリンが聞くと、メイコは無言で不貞腐れているミクを指差す。リンとレンは、それを見ても疑問のマークを頭上に掲げていたが、匂いには勝てず、すぐに興味を料理の方へと移していった。
食事が終わり、今日の疲れと汚れをお湯で洗い流す。そして自室に戻り、それぞれのペースで明日の準備をして寝入ってしまうと、いつも通りの穏やかな沈黙を保つ真夜中が訪れた。
いつもと違うのは、真夜中に帰ってきた人物と、ふと目が覚めてしまった人物がいた事だけだった。
カイトが戻ってきたのは日付が変わってからであり、今日は帰ってこないという博士の言葉は本当だった。博士はその時間まで待っていて、ちょうどキッチンでコーヒーを調達していたタイミングだったため、リビングで今日の出来事を確認していた。
迂闊だったのは、あるいは考えが足りなかったのは、その時に誰かが起きていて、廊下にいるという事態を想定していなかった点であろう。
「そうそう変な事も起こらないよ。上層部はI社に関してナイーブすぎるんだ。ライバルだからなんだろうけど。でぇ、次のミクの仕事、カイト、付き合ってやってくれないかい」
「構いませんが、僕が行く理由はなんですか」
「簡単に言えば偵察任務ね。I社の新作ボーカロイドについてちょっと騙くらかしてでも探って欲しいんだってさ!」
扉の前に潜んでいたミクは、それを聞いてぞっとした。あっさり、明るい声で言ったのが、他人を騙す話しだったなんて。次の仕事といえば、今日打ち合わせのあった仕事の続きだ。じゃあ、騙すのはがくぽさんじゃないか。
保身が働いた。ミクは静かに、足音も立てずにそろりそろりと歩き出す。二階に上がると、彼女はため息をついた。
(どうしよう、明日、どうしよう!)
胸を押さえた。心臓が速度を上げている。いつ二人が二階に上がって来るかわからない。部屋に走って戻る。廊下に響く靴音さえ恐ろしくなった。
(早く寝ないと……でも、でも)
自室に入り後ろ手に扉を閉める。すぐに息苦しさを覚えて深呼吸を繰り返した。
一方その頃、博士とカイトは話の続きをしていた。
「探って欲しい、ですか」
カイトは苦い顔をする。さすがにスパイの真似事は気が引けるのだ。
そんな事はは博士も承知している。もちろん、嫌な思いを積極的にさせようとは思っていなかった。
「まあ適当に交流してきなさい。何もわかりませんでしたーごめんなさーいで大丈夫だから」
博士のあっけらかんとした言葉を彼女が聞けなかったのは、この場にいる全員にとっての不幸だった。
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