時期は8月の終わり。「一つの歌声」の前日。
正直な話をすれば、現在のアンドロイドの殆どは十年以内に廃棄されるだろう。
技術の進歩や規格の変化で、末永く稼動できるわけにはいかなくなる。悲しい話だなと、共に住む僕は思うが、少数派だ。
アンドロイドは未だ世間にとって異邦人に過ぎない。溶け込めてはいないのだ。
それにしては、ボーカロイドたちを包む環境は優しいものだ。ミクたちはヴァーチャルなアイドルとして人気だし、そのミクたちを強く攻撃し、排斥しようという存在もそう多くはない。
だがそれもミクたちが一般化されているからなのだろう。一般化されていないものたちに対する風当たりは厳しい。
もちろん、その中にカイトも含まれている。
僕がカイトの話を聞いたのは、カイトの正式発表される直前だった。
ちょうど僕はメイコのお目付け役として、研究所に配属されたばかりで、ボーカロイドの扱いに苦慮していた。
そして、ヒントが欲しくてカイトとの面会を申し出たのだ。
カイトの開発チームの主任であり、天才的なアンドロイド研究者であった彼と話したのは、その時だけだった。
彼に対し、あまりいい印象は持たなかった。研究以外何もいらないとばかりに、彼はよれよれの白衣と、何日洗っていないのだろうと思えるくらいボサボサな髪で、何より異様な雰囲気を放っていた彼の目にやたらと嫌悪感を覚えたものだ。
彼は、三体いるうちの一体なら会わせてもいいと言って、僕にその一体がいる部屋のメモを渡した。
彼が担当していたカイトを破壊し、自身の頭を拳銃で撃ちぬいたのは、僕が彼に会った三日後、カイトの正式発表二日前のことだった。
事件というのは風化するが、そもそも彼については事件にさえならなかった。緘口令が敷かれ、単なる自殺として処理された。アンドロイドの学会で異端であり鼻摘み者であった彼の死はそれなりに話題になったものの、詳細を知っている人間は悉く口を噤み、結局研究者の間でも忘れ去られていった。
彼が残したものは、多くのユニークな論文と、常人には理解できない学説と、未だ完全解析が出来ていないほど複雑な精神パターンの雛形であった。
カイトの存在は、非公式のまま、闇に葬られようとしている。
僕は自分の程度というものをよく知っており、ここまでは出来る、ここからは出来ないというのが見えている。だから無力感というものとはあまり縁のなかった。
研究者には向かないと大学時代の恩師に言われたが、全く的確な分析だ。僕は結局大きな研究に従事するでもなく、研究所でボーカロイドのフォローに徹している。僕自身、それを嫌だと思ったことはない。むしろ天職だと思っている。
その大学時代の恩師も違法のセクシャロイドを製造した罪に問われて塀の中だ。世の中誰が何をしているかなどわからない。
ともかく、出来ないということに不満を覚えたことはなかった、カイトを研究所に受け入れるまでは。
彼、bが研究所に来た時、僕はcと会った時の事を思い出した。
cは、質問にははっきりと答えてくれたが、壁を作っているように感じた。あまり、打ち解けてくれなかったし、打ち解けようとも思っていないようだった。何か、人間を信用できないものとして見ている、そんな気がしたのだ。
だからbもそんな感じなのかと思っていた。
だが違った。
bは、既に精神が死に掛けていた。
度重なる実験に疲弊している、とは聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。存在するという事に疲れていた。僕には死を待ち望む老人のように見えた。
はじめに心配したのは、研究所にいる他のボーカロイドへの影響だ。
影響が出る事自体は織り込み済みだったが、悪い影響が出てしまうのは困る。特にリンはカイトの精神パターンを元にしている部分があって、より強い影響が出る事が予想されていた。カイトが研究所に入る前後にリンとレンを開発にやったのは、カイトが馴染んでいない状況では何かあるかもしれないと思ったからだった。
だが、杞憂だったかなと今にしてみれば思う。
馴染むのは早かったし、なにより、他者と共に暮らす事で彼は救われていった。そしてその彼に引っ張られるように、リンの精神は安定しだし、ミクやメイコ、レンも思考や行動に変化が表れていった。
悪影響どころかいい方に作用して、保護者としては胸を撫で下ろしたものだ。
だからこそ、この研究所に馴染んでいたからこそ、彼が廃棄されるかもしれないという状況にいたって、僕は焦燥感を覚えた。
どうにもできないかもしれないという焦燥感。どうにかしなければと思った。
田中博士に連絡を取って、彼の状況を説明すると、彼女は今すぐ行くと言った。その通り、その日のうちにカイトは開発部の方へ送られた。
意外だった事がある。廃棄されるのだと思っていた彼が、修理されて戻ってきた事だ。
てっきりそのまま廃棄してしまうのだと思っていた僕は、電話で修理中だと言われ、とてもじゃないが信じられなかった。だが、どうも話を聞いているうちに、田中という女性はカイトを助けたいと本気で思っているのがわかった。彼女にとってカイトは本当に子供のような存在だっただろう。一度は諦めたからこそ、今度こそ、そう決意していた。時として女は強い。
しかし修理されたとは言っても、根本的な解決には至らなかった。とりあえず持ち直した、それだけだった。
それも、夏場の暑さによって悪化してしまったけれど。
カイトは、もう一度歌う事を望んでいた。正確には、みんなに歌を渡したいと言った。
彼の願いを叶えるためには、セーフティがかけたロックを外さなければならない。セーフティが多数の機能にロックをかけている事はわかっていたが、かかった理由も、外し方も一切わからない状態だった。
セーフティは、自殺したかの開発者が設計したもので、現物と設計図の一部以外は会社に残っていなかった。彼が残したメモには、セーフティの目的として、精神の安定があげられていたが、僕はそれが目的ではないと思っている。どちらかというと、機能と精神の動きを制限するような……だが、何故そのようなものを作る必要があったのだろうか。
とにかく、セーフティをどうにかするために、彼の別荘からセーフティとカイトの設計図を探し出して、解析した。
けれど、僕には、僕たちには力が足りなかった。
天才、かの研究員はそう呼ばれる存在で、僕たちはそうではなかった。そして、その差は歴然としていた。
どうにかならないのか。どうしようもないのか。自問して、それが無力感だという事に気がついた。
強烈な無力感と、悔しさと、苛立ちと。
僕は、それを持った事を自覚した時に、始めてアンドロイドの研究者になったのかもしれない。
レンが接触したおかげで、cとパイプを持つ事ができたのは幸運だった。そして更に幸運だったのは、cが機能ロックを外す為のパッチを持っていたことだ。
僕や田中博士がそれを作れなかった事は悔しいが、カイトの望みが叶うという事の前ではどうでもいい話だった。
カイトの状態はいつ止まってもおかしくない状態だ。望みが叶うのはいい。だが、その後どうなるかはわからない。すぐさま停止するかもしれない。
明日の夜、ミクたちのライブの祝賀会のようなものをやる予定だ。その時に、彼の望みは叶う。
その前日に、必死になってカイトの設計図とセーフティの設計図、そしてcが持っていたデータを見比べている僕は、まだ諦めたくないようだ。
こんなに往生際が悪かっただろうか。
カイトが来て一番変わったのは、僕なのかもしれない。